継承の正当性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 20:25 UTC 版)
現在、いくつかの派閥がアレイスター・クロウリーの正当な継承者だと主張している。マクマートリーがカルフォルニアでOTOを復活させる以前から、そしてそれ以降も、他の派閥は様々な形で継承者の名乗りを上げている。デイヴ・エヴァンスは、クロウリーはカール・ゲルマーを「アメリカのOTOの首領」もしくはアメリカのX°に任命したと記し、ケネス・グラント(Kenneth Grant、1924年生まれ)については「クロウリーは彼にOTOの指揮を執るように遺言した」と書いている。 ケネス・グラントは1951年にこの指揮権を主張し、「私はイギリスのOTOを運営する権限がある」と公言した。したがってこれは明らかに、クロウリーの「アイルランド、アイオナおよび全ブリテン諸島」のX°としての肩書のみを主張したにすぎない。これに対してゲルマーは1955年にグラントをOTOから破門した。これは、グラントが後に主張したように、もしゲルマーがOHOではなくアメリカのX°であったなら不当な行いということになる。そしてグラントは、自分が東方聖堂騎士団のOHOだと宣言することになった。彼の団体は、カルフォルニアの団体から区別するためにタイフォニアンOTO(TOTO)と呼ばれている。 もう一人の主張者ヘルマン・メッツガーは、ロイスの指導下の初期スイスOTOの団員だった。しかし彼の主張はスイス以外の誰からも無視され、彼もこのことを強く主張することはなかった。彼は1990年に死去した。 第三の主張者マルセロ・ラモス・モッタ(Marcelo Ramos Motta、1931-1987)は一度もOTOの参入儀式を受けたことがなかったが、ゲルマーの妻サーシャが彼にカールの最後の言葉は、モッタが「信奉者」(the follower、後継者という意味にも取れなくはない)だと告げたと主張した。彼は、クロウリーの著作権の帰属で訴訟を起こしたが、アメリカのメイン州地方裁判所で否決された。モッタは1987年に死去したが、様々な小グループがソサエティOTO(S.O.T.O)を名乗り存続している(アメリカのデビット・バーソンのソサエティOTOとスペインのガブリエル・ロペス・デ・ロハスのソキエタスOTO)。マクマートリーが復活させたOTOはクロウリーの指導下にあった当時の組織形態の大部分を残しているのに対し、SOTOを名乗る諸グループはいずれも、構造も教義もマクマートリーのそれとは全く異なっている。
※この「継承の正当性」の解説は、「東方聖堂騎士団」の解説の一部です。
「継承の正当性」を含む「東方聖堂騎士団」の記事については、「東方聖堂騎士団」の概要を参照ください。
- 継承の正当性のページへのリンク