給人席・100石級家臣とは? わかりやすく解説

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給人席・100石級家臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/15 19:53 UTC 版)

小諸藩牧野氏の家臣団」の記事における「給人席・100石級家臣」の解説

家老統率される馬上資格有する平士(へいし)・平侍ひらざむらい)である。軍事警備部門を担当した。あくまで格式上、馬上許されているに過ぎず登城戦時にあって実際に馬上となったかは、別の話である。給人席以上は従者持ったが、給人席は従者の数は1名とされた。格式給人席で各種役方職務与えられることもあった。戦時には、給人席の家臣は、軍事警備部門を直接担当しているか、いないかに関係なく主力部隊構成した藩主庶子家臣取り扱いとなると、まず給人席とすることが、ほとんどであった。また給人席は、各種元〆職や、城門警備現場責任者門番守衛長に就任することもあった。 元禄15年小諸入封・城受け取りに際して行列では、給人席のほとんどは、馬上小諸城大手門前まで乗り付けたことになっている。しかし、譜代小藩のこの階級で馬を常時飼って登城行列にあたって馬乗りの士となるのは、収入上、不可能といわざるを得ない小諸入封時、給人席の収入は、江戸町奉行所配下与力の手先となる袴すら、履くことが許されない町同心などと大差がない町同心収入80俵5人扶持から、302人扶持が多いが、与板から小諸に入封したときの藩主牧野氏給人席は、馬上資格がある一方で家禄50石から80であった)。一般論としては、参勤交代などの行列では、在所近郊や、江戸入り口である板橋周辺で、馬を一時的に借り受けてその場だけの体裁整えメンツ保ったとされるが、小諸藩の対応を具体的に記述した史料が、残っていないため不詳。公式(建前上)の参勤交代様子は、小諸市誌に記載がある。 小諸入封に随従した給人席の家臣実態は、かくのように厳しいものであった。この階級の士が「将」とは言えないことは、説明するでもない小諸入封後、家臣たちには、加増があったとみられ、給人席は、実質100クラスの士となった者が多い。

※この「給人席・100石級家臣」の解説は、「小諸藩牧野氏の家臣団」の解説の一部です。
「給人席・100石級家臣」を含む「小諸藩牧野氏の家臣団」の記事については、「小諸藩牧野氏の家臣団」の概要を参照ください。

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