経済学の源流
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1535年、ビトリアがトマスの徴利(利子の徴収 / usura)論に関する講義をおこなったことをきっかけに、ドミニコ会学派における経済理論の研究が盛んになった。ビトリアを引き継ぎ経済理論を本格的に展開することになったソトは「公正価値論」を主張、さらにナバロ(マルティン・デ・アスピルクエタ)はソトの理論をもとに貨幣数量説・購買力平価説を構築(特に彼の貨幣数量説は、一般にこの学説の始祖とされるジャン・ボダンに時期的に先行するものである)、最後にモリナが貨幣論・価格論を集大成し、経済学派としてのサラマンカ学派の知名度を一気に高めた。 彼らは、「生産コストに基づく公正な(客観的)価格」というスコトゥスの学説を否定し、「公正な価格」とは自然な交換によって確立された価格以上でもそれ以下でもないと定義づけた。そしてトマス・アクィナス以来の自然法論に基づき独占を否定する一方で、徴利や為替取引については宗教倫理上の理由からする非難をしりぞけ肯定する立場をとった。彼らの経済理論は、スペインその他の西欧諸国が直面していた物価騰貴(価格革命)の原因を説明し、そうした現実とスコラ学(トマスの教説)の調和をめざすものであった。 以上のようなサラマンカ学派の理論は、商業や金融による利益を否定していた中世スコラ学の立場から一歩抜け出し、それらを道徳的に擁護したという点で古典的自由主義の先駆としての側面があった。この点を高く評価するハイエクは、資本主義の基礎は(ヴェーバーが説くような)カルヴァン派の教説ではなく(サラマンカ学派の)イエズス会によって作られたと主張しており、また重商主義的経済論であるとの評価もある。その反面、シュンペーターのように厚生経済学の先駆的な要素を認める見解もある。
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