経堂と文庫の建立とは? わかりやすく解説

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経堂と文庫の建立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 05:30 UTC 版)

了翁道覚」の記事における「経堂と文庫の建立」の解説

寛文10年1670年)、錦袋円売上金3,000両をもとに、300両で宿願大蔵経天海大蔵経6,323巻)を購入した。さらに輪王寺宮初代守澄法親王許可得て不忍池小島(「経堂島」)を築き、そこに2階建の経堂建てて大蔵経納めたその後京都東福寺塔頭普門院行き聖一国師円爾の像を礼拝し座元務めたまた、号を了然より了翁に改めた寛文11年1671年)、水面に近い位置建てられ経堂上部移築し広く内外の典籍を蒐集識者披閲供し堂内如定将来三聖像を安置したまた、伊勢安養寺門前施薬館を建てたほか、京都泉涌寺門前にも施薬所を設置して5万5千袋余に及ぶ錦袋円処方した寛文12年1672年)には棄児十数人の養育をはじめている。また、同年上野寛永寺のなかに勧学寮を建立し教学専任となった並立した文庫6棟には和漢書籍収蔵し僧侶ばかりではなく一般に公開した。これは、日本初一般公開図書館であったばかりでなく、閲覧者のなかで貧困の者や遠来の者には飯粥や宿を与えるという画期的な教育文化施設であった勧学寮で寮生与えられ食事質素なものであったが、おかずとしては、了翁が考案したといわれる漬物出された。大根、なす、きゅうりなど野菜切れ端残り物をよく干して漬物したもので、輪王寺宮がこれを美味とし「福神漬」と命名巷間広まったとされる勧学寮ではまた、経済的に窮乏している者に対して授業料免除された。 なお、延宝2年1674年)には江戸白金瑞聖寺にも経蔵を建て大蔵経を完置したほか、約5,000巻の漢籍納めたこうした功績認められ延宝6年1678年)、了翁には台、密、禅の兼学法印が、上州長楽寺において授けられている。

※この「経堂と文庫の建立」の解説は、「了翁道覚」の解説の一部です。
「経堂と文庫の建立」を含む「了翁道覚」の記事については、「了翁道覚」の概要を参照ください。

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