終了経緯
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プロデューサーの吉田達は、『不良番長』シリーズは、岡田には「よう出来た、オモロイなー!」と手を叩いて喜んでもらえたが、他の重役や良識を持ったスタッフからは嫌がられ、俊藤浩滋には「“不良番長”なんか作ってたらロクなプロデューサーにならないぞ!と言われた」と話している。吉田は「ロクでもないプロデューサーでいいですから」と言い返した。 最終作『不良番長 骨までしゃぶれ』公開時の文献に「梅宮らの好調シリーズ早くも16発目」と書かれたものがあるため、16作目の公開後に終了が決まったものらしい。シリーズが16本で終了した理由は、監督の野田と内藤が二人ともシュールレアリスムが好きで、二人で競ってムチャクチャをエスカレートさせたこと、8作目の『不良番長 出たとこ勝負』の後、最初は褒められていた岡田から内藤が呼び出され、「お前はとかくカメラを振り回したり、技巧に走りすぎる。東映ドラマは人間ドラマでいけ」などと説教を受け、「不良番長シリーズ」の監督を降ろされ、「これからはお前にそういう作品を回す」と言われ、「帝王シリーズ」と『夜のならず者』の監督に回されたこと、16本目の『不良番長 骨までしゃぶれ』の後、『仁義なき戦い』の大ヒットで実録路線が敷かれ、主要キャストが京都撮影所の深作組に取られたことが原因。内藤は「岡田さんはすでに私の資質を見抜いていた」と話しているが、「当時は社員監督だから、そういう指示に従わなくちゃいけないわけ。本当はまだ"不良番長"をやりたかったんだけど」などと話している。不良番長の新作として、『せんせい』(1989年、松竹)の前後辺りで山城から依頼され、山城からポケットマネーのギャラを貰い、『帰ってきた不良番長』という脚本を書いていつでも撮れる用意はしてあったが、2009年の山城、2019年の梅宮の死で消滅した。 シリーズ番外編として『極道VS不良番長』があるのは、若山富三郎が『不良番長』のファンで、撮影をよく覗きに来て、内藤誠に「俺を出せ」と働きかけていて、『極道VS不良番長』の製作経緯は内藤は知らないが「『極道VS不良番長』は「若山さんのアイデアだと思う」と話している。岡田から「ストーリーは大事にしろ」と言われていたため、内藤がツッパリ、「あなたが出るとストーリーが変わるから」と若山の出演はずっと断っていたという。
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