素材とテクスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 02:29 UTC 版)
作中では年は書かれていないが、史実のレンツがオーベルリーンのもとを滞在したのは1778年1月20日から2月8日までの約20日間である。レンツは1776年11月ころ、理由は明らかでないが親しくしていたヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテによってヴァイマルを追い出され、知人の家を渡り歩いていたが、1777年5月にやはり親しくしていたコルネーリア・フリーデリケ(ゲーテの妹)の死を知り大きな衝撃を受けた。その後作家のクリストフ・カウフマンのもとを滞在中に統合失調症の発作を起こし、こうした患者を診た経験のあるオーベルリーンのもとに送られることになった。 レンツの滞在中、オーベルリーンは彼の様子を詳細に書きとめていた。『レンツ』の直接の資料はこのオーベルリーンによる手記である。ビューヒナーはストラスブール大学に医学生として留学している間、神学生のサークル「オイゲニア」に出入りしていたが、ここの会員であったシュテーバー兄弟がヴァルトバッハ滞在中のレンツの様子を詳しく知っていた。ビューヒナーはシュテーバー兄弟の話を通じて興味を持ち、彼らを通じてオーベルリーンの手記を手に入れこれを資料とした。またビューヒナーは留学中、ヴァルトバッハがその一区域であるヴォゲーゼンの山々をたびたび散策している。 ビューヒナーは当初カール・グツコーが新たに創刊するはずだった雑誌『ドイツ評論』に掲載するつもりで『レンツ』を執筆していたが、この雑誌は検閲によって創刊前に出版が差し止められたため掲載の機会を失った。『レンツ』は結末の直前に中断箇所があり完成されてはいないが、中断箇所を埋めるオーベルリーンの手記からの写しが残されており全体像の把握は可能である。作品はビューヒナーの死後の1839年に、グッコーによって『テレグラーフ』誌に分割掲載された。
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