純形態学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 09:40 UTC 版)
一つは純形態学 (pure morphology) と言い、これはまた観念論的形態学 (idealistische Morphologie)、あるいは先験的形態学 (transcendental moephology) とも言って、自然哲学的な立場のそれである。代表的な学者にゲーテ、カール・フリードリヒ・キールマイヤー、ローレンツ・オーケン、エティエンヌ・ジョフロワ・サンティレールが挙げられる。この立場は、生物から純粋に形態だけを抜き出し、これに独自の意味付けを行う。 特に重要な概念として、『型』がある。さまざまな生物、動物同士、植物同士を比較する中から、共通する一定の形態のパターンを認めるもので、ゲーテは、植物の構造である花弁や萼などがすべて葉の変形であることを見いだして、このような変形を変態と呼んで重視し、植物すべての元になった「原植物」を仮定した。動物についてもそのような基本として「型」を考えた。 このような多様な動物の間に共通する形態を見いだすとすれば、当然ながらそれらの間に部分の対応が考えられる。ここからサンティレールはそれらの対応する器官について、それらが「相似である」と表現した。これは後にリチャード・オーウェンによって相似と「相同」の区別がなされ、これが現在の相似器官・相同器官に当たる。 このような考えは、さまざまな形態の動物の中から共通の型を見いだす、という方向に発展したが、ともすれば思弁的で恣意的な方向へ進みがちであり、例えば頭足類と脊椎動物を共通の型と見るために脊椎動物を腰で折り曲げて頭と尾とをくっつける変形を考える、と言った極端な説も出た。これはサンティレールの弟子筋であるローランセンとメーランによるものであるが、彼自身も節足動物の付属肢を脊椎動物の肋骨と相同と考えれば両者の体制は一致すると論じており、この是非についてキュヴィエとの間に大論争が行われたことは有名である。これはキュヴィエの勝利に終わったが、このような論の中で行われたさまざまな観点、例えば一つの個体の中で一定の構造が反復する(体節)、と言った見方は後世にも生きることとなった。 このような見方は生物の進化の考え方にごく接近するものであり、ゲーテが進化の考えを持っていたのではないかという声もあるが、明確にはされていない。しかし確実に進化の仮説を示した最初の人であるジャン=バティスト・ラマルクはこの流れにある人物である。
※この「純形態学」の解説は、「比較解剖学」の解説の一部です。
「純形態学」を含む「比較解剖学」の記事については、「比較解剖学」の概要を参照ください。
- 純形態学のページへのリンク