箕作家の著名人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:12 UTC 版)
近世箕作家の祖、阮甫は男子に恵まれなかった。そこで阮甫は優れた弟子を婿養子に迎え、また他の女子を弟子の優れたものに嫁がせた。それらの弟子が学者になることが多かったため、結果的に箕作家は女系を通じて、学術分野の多くの人材とつながる現象が生じた。 『Newton』の編集長で地球科学者の水谷仁は同誌の連載「学問の歩きオロジー」において「子供を教育するのは、その親の本分であることをみんな忘れてしまっている」という箕作秋坪(阮甫の弟子で婿養子)の言葉を引用した上で「箕作家では少なくとも親、祖父が子供を熱心に教育していたのが知られていますから、この秋坪の言葉には重みがあります」と語っている。箕作家は家庭での教育の重要性も知っており、そのことが多くの学者を輩出した事由の一つであると考えられる。 たとえば、土星型原子モデルを提唱した理論物理学者長岡半太郎は娘婿であり、電子線回折実験で世界的に有名な実験物理学者菊池正士は女系子孫、天皇機関説を主張した法学者美濃部達吉は女系子孫の娘婿である。 また、箕作元八は、昭和天皇が1972年3月8日付のニューヨークタイムズのインタビューに答えた記事に、「裕仁は、自身の人生と知的発達(Intellectual development )に最も影響した一個人は、ドイツで勉強した後に日本において西洋史の権威となった日本人教授、箕作元八であると打ち明けた。箕作の著書は、以前から西洋の歴史的傾向や西洋の民主主義を翻訳することの重要性を朕にはっきりと示しながら、その考え方を勅書に具体化して上手に取り入れることに貢献したと、天皇は述べた」、 と紹介されて世界的に有名になった人物。 その他、以下の項目で詳説する。
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