箕作男爵家とは? わかりやすく解説

箕作男爵家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:12 UTC 版)

箕作家」の記事における「箕作男爵家」の解説

阮甫は妻・といとの間に4女をもうけたものの、男子無かった長女・せきは弟子山田黄石に嫁がせ、黄石は後に呉と改姓呉家の祖となった三女・つねと四女・しん(ちま)には弟子婿養子として迎えた次女夭折)。 2人婿養子のうち、しんの夫・箕作省吾夭折したので省吾長男箕作麟祥が秋坪とともに嗣子となった1854年安政元年)に阮甫は秋坪に家督譲って隠居し、麟祥を連れて分家した。これが箕作男爵家の始まりである(当時華族制度もなく、「男爵」ではない)。 阮甫の死後・麟祥が箕作男爵家の当主となった。麟祥は死に際して男爵贈られたため以降は箕作男爵家が箕作一族本家となった。麟祥の長男泰一次男・正次郎はともに夭折したため麟祥の死後三男・祥三が家督爵位継いだ。だが祥三も夭折したため異母弟俊夫(麟祥の四男)が男爵箕作家3代目(阮甫から数え4代目当主となった。 なお麟祥の長女貞子石川千代松に、三女・操子は長岡半太郎嫁いだ俊夫死後家督爵位は、長男・祥一が継ぎ敗戦至った。祥一(元日大学農獣医学部教授)の死後は、その弟・俊次(俊夫次男)が箕作本家当主となり、2011年現在当主は俊次の長男・有俊である。なお、俊次・有俊の親子は共に学問以外の道を歩んだため、ここに至って箕作家学者家系としての伝統絶たれといえる。ただ祥一の娘で近江家嫁いだ禎子医学の道に進み東京慈恵会医科大学麻酔科教授になっている。祥一の妻すなわち禎子の母は養命酒製造の第4代及び第6代社長務めた塩澤友茂の次女

※この「箕作男爵家」の解説は、「箕作家」の解説の一部です。
「箕作男爵家」を含む「箕作家」の記事については、「箕作家」の概要を参照ください。

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