筒井定次
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上野城を奪還した定次は関ヶ原へ向かい、西軍と交戦し勝利した。後にその功で本領安堵・10万石(合計で20万石)加増を約束され、伊賀上野藩を立藩した。しかし、伊賀は石高が貧しい国であった為苛税を敷く必要があり、それに呼応して独立志向が高い土豪の反乱が頻繁に勃発した。関ヶ原の戦い以前には、大規模火災の復興問題を皮切りに家臣が二分され、遂に島左近が出奔した。更に定次は酒に溺れ、政治に真面目に取り組まなくなった。このように関ヶ原の戦い以前から不行状が絶えなかった為、慶長13年(1608年)6月に領地没収、磐城平城主鳥居忠政のもとに預けられた(筒井騒動)。後に大坂の陣で豊臣方に内通したという疑惑が掛けられ、切腹となった。
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筒井定次(要塞・筒井順慶の強化版)
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21歳。慈明寺順国の子で順慶の養子。信長の義理婿。何かと我侭な性格で家中での評判はよくない。酒好きで酒も鯨飲するほど。権力拡大のため、養父に戦場に行かせることに成功する。
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