第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間
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「ダーター (SS-227)」の記事における「第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間」の解説
9月1日、ダーターは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。トレス海峡を抜け、9月10日に給油と修理のためダーウィンに寄港した。給油後、セレベス海で哨戒。その後一旦哨戒海域を離れ、9月27日に前進根拠地であるミオス・ウンディ島に寄港し、給油と整備を行った。整備終了後、合流したデイスとともに出港し、10月5日にシブツ海峡を、10月7日にミンドロ島南方海域をそれぞれ通過して哨戒海域であるパラワン水道に進出した。ダーターとデイスは担当海域で哨戒、船団攻撃などを実施。10月12日、ダーターは北緯08度40分 東経116度42分 / 北緯8.667度 東経116.700度 / 8.667; 116.700の地点で輸送船団を発見し、魚雷を4本発射して3本を2隻のタンカーに命中させたと判断される。10月14日には、デイスがミ19船団を発見して攻撃し、応急タンカー日鉄丸(日産汽船、5,993トン)撃沈、輸送船永享丸(日本郵船、6,948トン)および大善丸(大阪商船、5,396トン)大破の戦果をあげた。ダーターはデイスからの報告でミ19船団に接近していったが、発見することが出来なかった。10月19日にも、北緯09度09分 東経117度03分 / 北緯9.150度 東経117.050度 / 9.150; 117.050の地点で「吹雪型駆逐艦」に対して魚雷を4本発射したが、命中しなかった。 この頃、10月20日レイテ島に対する上陸作戦が開始されるので、司令部からダーターとデイスを含めたフィリピン近辺のほぼすべての潜水艦にキングII作戦計画に基づいて支援が命じられ、特に日本艦隊の動きを注視するよう指令が出された。ダーターとデイスは引き続き、パラワン水道とバラバク海峡間の海域を哨戒し続けた。
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