第2期:ピーター・ジェニングスの時代
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「ABCワールドニュース」の記事における「第2期:ピーター・ジェニングスの時代」の解説
1983年にレイノルズが亡くなり、ロンドンから伝えていたピーター・ジェニングスが単独アンカーとしてニューヨークから伝えることになる。1984年9月からは、番組名も彼の名を冠した World News Tonight With Peter Jennings となった。 ジェニングスは海外取材歴が長かったこともあり、単独で担当するようになってからも、国内ニュースのほかに海外のニュース取材も積極的に行なった。日本には1985年の原爆記念の日に広島から放送したほか、昭和天皇崩御の際にも来日して取材・放送を行った。また1993年の東京サミットで来日した際には(当時日本では解散総選挙の真っ只中でもあったため)日本全国各地を取材・放送を行った。 ジェニングスと同じく1980年代前半にトム・ブロコウが「NBCナイトリーニュース」の、ダン・ラザーが「CBSイブニングニュース」のアンカーとなり、これら三大ネットワークの夕方ニュース番組は激しい視聴率競争を展開した。80年代後半からの国際社会の激変の中で、番組は国際報道で強みを発揮し、10年あまり視聴率競争で優位にあった。しかし90年代後半から「NBCナイトリーニュース」が優位に立ち、以後後塵を拝する格好となった。 2001年、アメリカ同時多発テロ事件に関して愛国心が渦巻く中、冷静を保った報道姿勢が保守層から反感を買い、視聴率が急落する一幕もあった。 2005年4月、ジェニングスは自らが肺癌患者であることを告白し、病気療養に専念する為に降板。同年8月7日、67歳で亡くなった。ジェニングスの死は世界中で報道された。ライバルであったNBCニュースは、ジェニングスへの哀悼の意を異例の新聞全面追悼広告として表した。WNTを放送していたNHK衛星第1テレビでABCの追悼番組を放送した。 ジェニングスの病気療養・死去から新アンカーが決まるまで、ジェニングスが担当していた平日の担当は、平日朝の番組『グッド・モーニング・アメリカ』(Good Morning America、GMA)の司会者チャールズ・ギブソン(Charles Gibson)や、20/20 の司会者エリザベス・バーガス(Elizabeth Vargas)、番組の日曜日担当だったボブ・ウッドラフ(Bob Woodruff)らで補った。
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