第2回・第3回・第4回ジャパン・アート・フェスティバル
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「国際芸術見本市」の記事における「第2回・第3回・第4回ジャパン・アート・フェスティバル」の解説
当初はニューヨークのみの開催が予定されていたアート・フェスティバルであったが、計画が進むに連れて、米国内の他都市でも開催されることになった。それは日本側の希望でもあったが、この企画を聞きつけた米国内の多くの美術館、大学、美術ギャラリー、百貨店などからの開催の申し出があったからでもある。こうして第1回ジャパン・アート・フェスティバルは巡回展として、米国諸都市を巡回することになった。ニューヨーク展の後、その規模や内容をすこしずつ変えながらも、同年8月にピッツバーグ、11月にシカゴ、翌1967年1月にサンフランシスコへ巡回した。 さらに第2回としては、1967年8月にホノルル、10月にヒューストン、そして1968年には1月にニューオーリンズ、さらに第3回としてメキシコはメキシコ・シティ、グアダラハラ、再び米国に戻り11月にモーリーン、12月にセントルイス、1969年には第4回としてロサンゼルス、フェニックスなどの全米主要都市をほぼ4年間で巡回することになった。 現地実演を通じての茶道、華道の協力として、裏千家、池坊、古流松藤会、嵯峨流、小原流、草月流などがそれぞれ家元をはじめ幹部を派遣した。 なお、米国におけるジャパン・アート・フェスティバルの開催主体あるいは共催相手は、その形態別に分類すると以下の通りであった。 国際芸術見本市協会の単独主催 ニューヨーク展(ユニオンカーバイドビル・Union Carbide Bldg.)、ホノルル展(イリカイホテルThe Ilikai)、ヒューストン展(ヒューストン・ナチュラルガス・ビル・Houston Natural Gas Bldg.) 美術館との共催 シカゴ展(シカゴ美術館・The Art Institute of Chicago)、サンフランシスコ展(デ・ヤング美術館・M.H. De Young Museum)、フェニックス展(ロスオリーヴォス美術館・Los Olivos Museum) 百貨店との共催 ピッツバーグ展(ギンベル百貨店・Gimbel Brothers)、ニューオーリンズ展(メゾン・ブランシュ百貨店・Maison Blanche)、ロサンゼルス展(メイ百貨店・May Co.) 一般企業との共催 モーリーン展(ディアー・アンド・カンパニー・Deere & Co・農機具メーカー.)、セントルイス展(ペット・インク・Pet Inc.・食品メーカー)
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