第1の哨戒・海軍十字章
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「チャールズ・E・ラフリン」の記事における「第1の哨戒・海軍十字章」の解説
8月4日から10月3日までの最初の哨戒は、「バーブ」 、「タニー」とウルフパック「エドのインク消し Ed's Eradicators」を組んでルソン海峡と南シナ海方面で行動した。この哨戒では8月31日にミ15船団を攻撃してタンカー「千代田丸」(日本郵船、4,701トン)を、9月9日にタマ25船団を攻撃して輸送船「豊岡丸」(鏑木汽船、7,097トン)と「満州丸」(日本海汽船、3,054トン)を撃沈した。 しかし、この哨戒のハイライトは9月18日に、9月12日に別のウルフパックの攻撃で海中に投げ出された、ヒ72船団加入の「楽洋丸」(南洋海運、9,418トン)に乗船していたイギリス軍およびオーストラリア軍捕虜を18名救助したことであった。ラフリンは、この救助活動を含む最初の哨戒行動が評価されて最初の海軍十字章を受章した。 海軍十字章合衆国大統領は、海軍少佐チャールズ・エリオット・ラフリンが1944年8月4日から10月3日までの間の、ルソン海峡およびフィリピン近海の日本勢力圏下にある海域におけるクイーンフィッシュの最初の哨戒での突発的に起こった英雄的行為に対して、海軍十字章を贈る。ラフリン少佐は、敵の強力な水上と空からの制圧があったにもかかわらず、攻撃的かつ非常に粘り強い戦術を駆使して日本の海上輸送に対して効果的な攻撃を行い、1,300トンの敵駆逐艦、2隻の大型タンカー、2隻の大型貨物船の総計48,000トンにおよぶ艦船を撃沈した。また、撃沈された日本船から放り出されたイギリスとオーストラリアの捕虜の救助作業に参加して18名を救助し、重傷者には特に手厚い治療を行って、母港に輸送した。彼のスキルと勇気、義務への献身ぶりは、アメリカ海軍における崇高な伝統と合致している。
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