満洲に関する露清協定とは? わかりやすく解説

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満洲に関する露清協定

(第二次露清密約 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 02:41 UTC 版)

満洲に関する露清協定(まんしゅうにかんするろしんきょうてい)は、1900年11月11日ロシア帝国の遼東租借地司令官エヴゲーニイ・アレクセーエフ大清帝国の盛京将軍増祺中国語版とのあいだで交わされた密約。第二次露清密約(だいにじろしんみつやく)と呼ぶことがある。この密約は、諸列強の知るところとなって問題視され、1901年4月のロシア帝国官報によっていったん廃案となったが、交渉そのものはのちに再開されて1902年4月8日のロシア・清国両政府による満洲還付条約へとつながった。


注釈

  1. ^ ロシア軍は1900年7月13日、ブラゴヴェシチェンスク南方の江東六十四屯を襲撃し、清国人居留民の大量虐殺におよんだ。老若男女見境なく殺戮し、黒竜江に押し流した残虐な事件であり、当時の日本でもロシア軍の凶暴さを示す事件としてきわめて高い関心が示された[4][5]
  2. ^ 当時、帝国陸軍参謀本部のもとで間諜活動にたずさわっていた石光真清の手記『曠野の花』には、満洲のロシア領化の進行により、日本人がこの地に潜入することさえ難しくなっていることが詳細に叙述されている[1]

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