第二次世界大戦中のシービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 08:04 UTC 版)
「シービー」の記事における「第二次世界大戦中のシービー」の解説
設立当初のシービー隊員はまったくの新兵ではなく、土木・建設作業に熟練した志願者から選抜された。このため、肉体的な選抜基準は軍の通常の部隊よりも緩く、年齢制限も18-50歳までと幅広くとられた。最初の大隊には60歳を超える隊員も数名おり、初期の部隊の平均年齢は37歳であった。1942年12月になると、志願者による編成は中止され、徴兵者の中から選抜して部隊を編成することとなり部隊の平均年齢は低下した。 平均的な訓練課程では、新兵はまずヴァージニア州ヨーク郡のキャンプ・アレン(後にキャンプ・ピアリーに移転)にある基礎訓練所で戦闘訓練と設営訓練を3週間受け、さらにキャンプ・ブラッドフォードで6週間の専門的な設営訓練を受けた。 第二次世界大戦中のシービーの基本編成は大隊編成で、建設作業を行う4個中隊と大隊本部からなり、総員はおよそ1,100名ほどであった。各隊には土木・建設に関する約60の職種が配属されており、多様な作業に従事することができた。また通常の建設大隊に加えて、戦闘地域での船舶荷役を行う特別大隊(special construction battalion)、 基地の保守を行う基地保守隊(construction battalion maintenance unit)、挺身破壊部隊などがあった。 シービーは大戦を通じて各地で多大な活躍を示した。大西洋戦域ではカリブ海の島嶼から、ニューファンドランド、北アイルランド、アイスランド、グリーンランドの各地に海軍基地と飛行場を建設し、輸送船団が絶え間ない護衛を受けられる素地をつくり大西洋の戦いにおける勝利に貢献した。また、北アフリカでのトーチ作戦、シチリア島でのハスキー作戦、そしてノルマンディー上陸作戦といった各地の揚陸作戦で、上陸した部隊の補給を支える港湾施設の建設・修理に当たった。 太平洋戦域においても、多数の海軍基地・飛行場を建設、また損害を受けた施設の復旧に従事し、ソロモン諸島の戦いとニューギニアの戦いでの連合軍の勝利に大きく貢献している。
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