第一次戦争(1256年–1270年)
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「ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争」の記事における「第一次戦争(1256年–1270年)」の解説
ヴェネツィアとジェノヴァの最初の全面戦争はアッコにおける特権を巡る紛争が発端となり、ジェノヴァ軍がヴェネツィアの管理する地区を攻撃したことで勃発した。ヴェネツィアはピサ共和国やプロヴァンス、テンプル騎士団の支援を受けた。一方ジェノヴァはカタルーニャ、アンコーナ、ホスピタル騎士団と組んだ。アッコの地元貴族は分裂して双方を支持した。ヴェネツィア本国を1257年に出発したロレンツォ・ティエポロ率いる艦隊は、翌1258年6月にアッコに到着しジェノヴァ海軍を破った。 しかし1261年にニカイア帝国のミカエル8世パレオロゴスがジェノヴァとニンファエウム条約を結び、コンスタンティノープルをラテン帝国から奪回すると、衛星国を失ったヴェネツィアは一転して窮地に立たされる。 1204年の第四次十字軍以来ヴェネツィアが謳歌してきたコンスタンティノープルと黒海での貿易独占がここで崩れた。 ヴェネツィア海軍より劣っていたジェノヴァ海軍は、戦闘を極力回避しようとした。第一次戦争での主だった会戦は、1258年のアッコの海戦と、1263年のエヴィア島・セッテポッジの戦いと、1266年のシチリア・トラーパニの戦いくらいのものである。いずれもヴェネツィアが勝利しているが、実のところ地中海におけるジェノヴァ船舶の商業活動にはほとんど影響がなかった上に、ヴェネツィアの貿易活動はジェノヴァの私掠船によって甚大な被害を受けた。1264年、ジェノヴァの提督シモーネ・グリッロはヴェネツィアの交易船を守る軍艦をおびき出し、残された輸送船団を丸ごと捕獲する大成功を収めた。 しかしジェノヴァ人とミカエル8世の間に対立が生じると、ヴェネツィアは1268年にビザンツ帝国と講和を結び、帝国内での地位と権利を部分的に回復することに成功した。 第一次戦争は1270年に休戦が結ばれひとまず終結する。これを仲立したのは、十字軍を実施するために両国の船舶を利用しようと考えたフランス王ルイ9世だった。 ヴェネツィアは残存する十字軍国家における地位を強化したが、一方でジェノヴァが持つビザンツ帝国内の特権や黒海交易路の独占を崩すことはできなかった。この後ジェノヴァはこの黒海における勢力を、オスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落(1453年)まで保った。
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