第一次戦争とは? わかりやすく解説

第一次戦争(1256年–1270年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 05:12 UTC 版)

ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争」の記事における「第一次戦争(1256年1270年)」の解説

ヴェネツィアジェノヴァ最初全面戦争アッコにおける特権を巡る紛争発端となり、ジェノヴァ軍がヴェネツィア管理する地区攻撃したことで勃発したヴェネツィアピサ共和国プロヴァンステンプル騎士団支援受けた一方ジェノヴァカタルーニャアンコーナホスピタル騎士団組んだアッコ地元貴族分裂して双方支持したヴェネツィア本国1257年出発したロレンツォ・ティエポロ率い艦隊は、翌1258年6月アッコ到着しジェノヴァ海軍破った。 しかし1261年ニカイア帝国ミカエル8世パレオロゴスジェノヴァニンファエウム条約を結び、コンスタンティノープルラテン帝国から奪回すると、衛星国失ったヴェネツィア一転して窮地に立たされる1204年第四次十字軍以来ヴェネツィア謳歌してきたコンスタンティノープル黒海での貿易独占がここで崩れたヴェネツィア海軍より劣っていたジェノヴァ海軍は、戦闘極力回避しようとした。第一次戦争での主だった会戦は、1258年アッコ海戦と、1263年エヴィア島・セッテポッジの戦いと、1266年のシチリア・トラーパニの戦いくらいのものであるいずれもヴェネツィア勝利しているが、実のところ地中海におけるジェノヴァ船舶商業活動にはほとんど影響がなかった上に、ヴェネツィア貿易活動ジェノヴァ私掠船によって甚大な被害受けた1264年ジェノヴァ提督シモーネ・グリッロはヴェネツィア交易船を守る軍艦おびき出し残され輸送船団丸ごと捕獲する大成功収めた。 しかしジェノヴァ人とミカエル8世の間に対立生じると、ヴェネツィア1268年ビザンツ帝国講和を結び、帝国内での地位権利部分的に回復することに成功した。 第一次戦争は1270年休戦結ばれひとまず終結する。これを仲立したのは、十字軍実施するために両国船舶利用しよう考えたフランス王ルイ9世だった。 ヴェネツィア残存する十字軍国家における地位強化したが、一方でジェノヴァが持つビザンツ帝国内の特権黒海交易路独占を崩すことはできなかった。この後ジェノヴァはこの黒海における勢力を、オスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落1453年)まで保った

※この「第一次戦争(1256年–1270年)」の解説は、「ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争」の解説の一部です。
「第一次戦争(1256年–1270年)」を含む「ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争」の記事については、「ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第一次戦争」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第一次戦争」の関連用語

第一次戦争のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第一次戦争のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのヴェネツィア・ジェノヴァ戦争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS