第一の衝突とは? わかりやすく解説

第一の衝突

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 01:14 UTC 版)

トリー・スヴャチーチェリャ (戦艦)」の記事における「第一の衝突」の解説

詳細は「サールィチ岬の海戦」を参照 1914年11月5日には、Z・Zh艦隊水雷艇掩護の下、機雷敷設艦コンスタンチン大公クセーニヤ大公妃トラブゾンにて機雷敷設作戦をて実施した連合艦隊はこれを支援し主力牽制するため遊弋していたが、セヴァストーポリへの帰路サールィチ岬沖にて敵の主力艦ヤウズ・スルタン・セリムおよび軽巡洋艦ミディッリと相見えることとなった。 このとき、戦闘経験不足を補うために3 隻の戦列艦提督乗艦していたが、そのうちV・K・ルキーン海軍大佐指揮するトリー・スヴャチーチェリャには、第2戦列艦戦隊司令官である海軍少将N・Sプチャーチン公爵坐乗し、その将官旗が掲揚された。残る2 隻は、黒海艦隊司令官A・A・エベルガールト海軍中将乗るエフスターフィイと、P・I・ノヴィーツキイ海軍少将乗るパンテレイモンである。 トリー・スヴャチーチェリャは第2戦列艦戦隊旗艦としてその先頭にあり、第1戦列艦戦隊の3 隻の後ろ続いていた。しかし、濃霧による視界悪さ原因射撃指令であった戦列艦イオアン・ズラトウースト誤った距離を算出したため、そのデータを基に砲撃実施したトリー・スヴャチーチェリャの主砲はてんで的外れな射撃続けることとなった先頭走っていた戦列艦エフスターフィイは計算誤りに気づいたが、敵の砲弾無線アンテナ損傷したことから他艦へそれを伝えられず、黒海艦隊統一指揮による集中射撃戦法脆くも崩壊した一方、トリー・スヴャチーチェリャの副砲副砲指揮所で得られた独自の射程をもとにミディッリに対す砲撃行っているが、これも有効弾を得られなかった。結局、トリー・スヴャチーチェリャは12 発の砲弾消費したが、その砲撃戦闘何ら寄与もしなかったとされている。

※この「第一の衝突」の解説は、「トリー・スヴャチーチェリャ (戦艦)」の解説の一部です。
「第一の衝突」を含む「トリー・スヴャチーチェリャ (戦艦)」の記事については、「トリー・スヴャチーチェリャ (戦艦)」の概要を参照ください。

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