第一の請願
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 02:58 UTC 版)
奈古屋里人らの徳山藩再興運動は6月下旬に開始した。旧徳山藩の村々から百姓・町人ら約4700人を集め、萩藩に直訴しようと6月26日朝に大挙して萩へ向かって出発した。この急報を受けた萩藩では直ちに佐世七郎左衛門、坂九右衛門、中野市左衛門らを派遣し、一行を山口で押し止め、中野市左衛門に徳山側の代表者の対応をさせた。この時徳山側は、徳山本町年寄の山田彦五郎、中山伴七、波田久右衛門以下、各町村の庄屋や年寄ら25名を代表とし、百次郎による徳山藩再興を嘆願するとともに、この嘆願を直ちに萩藩の重臣宍戸就延に報じ、藩主吉元の意向を伺って回答することを要求した。中野市左衛門は徳山側の者が一人として右田川を越えないことを約束させた上で、直ちに萩へ戻って宍戸就延に事情を報告し、回答をもたらした。しかし、この回答では百次郎を疎略には扱わず、いずれは徳山へ帰すつもりであると述べられているに過ぎず、徳山藩再興に関しては触れられていなかった。山田彦五郎らもこれ以上の強訴はできず、一度在所へ戻った。
※この「第一の請願」の解説は、「万役山事件」の解説の一部です。
「第一の請願」を含む「万役山事件」の記事については、「万役山事件」の概要を参照ください。
- 第一の請願のページへのリンク