第一の改心とは? わかりやすく解説

第一の改心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:10 UTC 版)

バルトロメ・デ・ラス・カサス」の記事における「第一の改心」の解説

1512年ディエゴ・コロンキューバ島征服軍を出動させ、ディエゴ友人であったラス・カサス従軍司祭としてこれに加わった軍勢中には後にコンキスタドールとして知られエルナン・コルテスもいた。この軍事行動の中でおこなわれたインディアン対す拷問虐殺目の当たりにしたラス・カサス激し良心の呵責感じようになった1514年には従軍司祭地位捨て農業専念しながら聖書について観想する生活に入る。聖書メッセージ現実起こっているインディオ不当な扱い明らかに相容れないものであった司祭としてラス・カサス苦悩頂点達していた。 1514年8月15日ラス・カサス人生における「第一の改心」と呼ばれる出来事が起こる。ラス・カサス熟考の末、所有していたインディオ奴隷解放し、自らのエンコミエンダ放棄サンクティ・スピリトゥス行った聖母被昇天祭ミサの中でエンコミエンダ制矛盾厳しく糾弾したのである1515年インディアスエンコミエンダ制不当性を訴えていたドミニコ会員たちと相談の上王室状況改善訴えようとモンテシーノスと共にスペイン向かった。しかし、フェルナンド2世はまもなく逝去したため、摂政として実権握っていたフランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス枢機卿およびアドリアン枢機卿(後のハドリアヌス6世)に謁見して植民地実情訴えた。この時書かれたのが『14改善策といわれるもので、エンコミエンダ廃止インディオ虐待即時中止平和的キリスト教布教などが提案されている。インディオ奴隷酷使され、また虐殺によって数を減らし南米へ逃亡するものが後を絶たず、奴隷労働力としてすでに役に立たなくなっていた。このためこのころラス・カサスインディオ代わる労働力として西アフリカから運ばれ黒人奴隷利用やむなし考えていた。しかし後に、これも不当であると考えるようになる

※この「第一の改心」の解説は、「バルトロメ・デ・ラス・カサス」の解説の一部です。
「第一の改心」を含む「バルトロメ・デ・ラス・カサス」の記事については、「バルトロメ・デ・ラス・カサス」の概要を参照ください。

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