竹友藻風とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 竹友藻風の意味・解説 

たけとも‐そうふう〔‐サウフウ〕【竹友藻風】

読み方:たけともそうふう

[1891〜1954]詩人英文学者大阪生まれ本名乕雄(とらお)。上田敏学び英米留学して英文学修めた詩集祈祷」「浮彫」、翻訳神曲」など。


竹友藻風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/27 14:59 UTC 版)

竹友藻風(1948年)

竹友 藻風(たけとも そうふう、1891年9月24日 - 1954年10月7日)は、日本の英文学者詩人翻訳家

ルバイヤット』『神曲』などの翻訳がある。

経歴・人物

(出典[1][2]
大阪市生まれ。本名・乕雄(とらお)。父・安治郎は実業家で、のち東海生命保険専務取締役。

関西学院中学校同志社中学校を経て1910年3月桃山学院中学校卒業。同年同志社神学校進学。1911年京都帝国大学英文科選科に移り、上田敏新村出(言語学)、藤井乙男(国文学)、吉沢義徳(国語学史)、鈴木虎雄(中国文学)、藤代禎輔(独文学)らに学び、1914年卒業。京都大学在学中の1913年、処女詩集『祈祷』を上梓[3]

1915年夏、渡米。同年10月イェール大学神学部に入学するが翌1916年に退学し、ニューヨークに出てブルックリン博物館で東洋美術の管理助手として勤務。同年、日米協会の講演会で、当時コロンビア大学の英文学の教授だったジョン・アースキンに出会う。翌1917年からコロンビア大学で英文学を学び、1919年6月、同大学から文学修士(M.A)の学位を得た[注 1]

1920年1月帰国。同年4月、野口米次郎の紹介で慶應義塾大学教授に就任。1921年から東京高等師範学校に出講。同年、北原白秋らと新詩会を結成。

1922年春、慶應を辞して高等師範の専任講師に就任。1923年同校教授。

1934年春、斎藤勇の推薦で新設の関西学院大学法文学部の教授に就任。

1948年秋、新設の大阪大学文学部の英文学科教授に就任。1950年冬、関西学院から文学博士の学位を贈られる。

1954年10月、大阪大学を定年退官する半年前に63歳で病没。墓所は多磨霊園[4]

長男は精神医学者でアルベルト・アインシュタイン医科大学精神医学臨床名誉教授の故・竹友安彦[5]。四男は英文学者で元大阪大学文学部教授の故・藤井治彦[注 2]で、1982年に出版された『竹友藻風選集』の編集に携わった。他に二男一女あり[6][注 3]。 

著書

  • 『祈祷』(昴発行所) 1913年
  • 『鬱金草』(編、梁江堂書店) 1915年
  • 『浮彫』(山中嵒松堂) 1915年
  • 『時のながれに』(天佑社) 1920年
  • 『審美論集』(金星堂) 1921年
  • 『文学論』(アルス) 1926年
  • 『エッセイとエッセイスト』(北文館) 1927年
  • 『詩集』(新潮社) 1927年
  • 『書物と人』(斯文書院) 1927年
  • 『英文学論攷』(万里閣書房) 1930年
  • 『馴鹿』(梓書房) 1930年
  • 『文学総論』(梓書房) 1930年 - 1934年
  • 『英国小品文学』(北文館) 1933年
  • 『冬扇帖』(文体社) 1934年
  • 『叙情詩論』(弘文堂書房) 1939年
  • 『英詩史』(研究社、研究社英米文学語学講座) 1941年
  • 『鶺鴒』(七丈書院) 1942年
  • 『藻風小品』(積善館) 1943年
  • 『肯定的精神』(増進堂) 1948年
  • 『法苑林 訳詩集』(潮人社) 1951年
  • 『竹友藻風選集』(藤井治彦編、南雲堂) 1982年 ASIN B000J7DOSO

翻訳

脚注

注釈

  1. ^ ウォルター・ベイターの『享楽主義者メアリアス』(『享楽主義者マリウス』)と鴨長明の『方丈記』の思想を比較した論文と、森鴎外、永井荷風、島崎藤村の短編七編を英訳したPauloweniaによって、学位を得た。Pauloweniaはアースキンの援助で、Duffield書房から1918年に出版された
  2. ^ 藻風の妻の芳の実家である藤井家の養子となった。
  3. ^ 次男は藤井家の養子となるも、学徒出陣として徴兵され大陸にて戦病死。三男は夭折。長女は他家に嫁ぎ2024年の時点で健在。

出典

  1. ^ 藤井治彦『竹友藻風選集第二巻「竹友藻風小伝」』南雲堂、1982年、557-574頁。ASIN B000J7DOSO 
  2. ^ https://www.kwansei.ac.jp/r_history/r_history_m_001222/detail/r_history_008864.html
  3. ^ 上田敏が序文を寄せ、平田禿木が『塔』誌上に好意的な批評を書いた。『日本現代詩体系』(矢野峰人編、河出書房新社)第五巻・近代詩<二>に収録。
  4. ^ 竹友藻風”. www6.plala.or.jp. 2024年11月27日閲覧。
  5. ^ https://magazine.einsteinmed.edu/backup/winterspring-2016/in-memoriam-3/
  6. ^ 藤井治彦『竹友藻風選集第二巻「竹友藻風小伝」』南雲堂、1982年、564-565頁。ASIN B000J7DOSO 

参考文献



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「竹友藻風」の関連用語

竹友藻風のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



竹友藻風のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの竹友藻風 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS