競争する爆撃機設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 01:11 UTC 版)
「He 277 (航空機)」の記事における「競争する爆撃機設計」の解説
He 277の設計期間中、エルンスト・ハインケルは他の重爆撃機との開発競争に追われていた。またこれらの機体はいずれも巨大な4発の機体で重爆撃機として性能は保証されていた。競争相手とはフォッケウルフ社のFw 300(後にはTa 400)、ユンカース社のJu 390、メッサーシュミット社のMe 264、そしてハインケル自身の設計のHe 177の発展型で4発機のHe 274である。 He 277の最初の設計はライセンス生産を可能とする「生産性重視」の設計になっていた。これは、ドイツの限られた航空機生産設備で「アメリカ爆撃機計画」の要件を満たす最良の長距離爆撃機を供給可能とするための設計であった。He 277がこういった量産を考慮した設計に挑戦するには、先述の競争相手でもあったMe 264の存在がそのいい機会となった。Me 264は特注の長距離爆撃機で、1942年の12月後半には4基のエンジンを搭載した試作機が既に飛行試験を行っていた。4発機であるMe 264の開発・組み立てには、戦略上重要な資源を大量に必要とした上、さらによりよい性能が見込まれているTa 400とHe 277があったため、1943年5月に中止されていた。 ヨーロッパ戦線へアメリカが参戦してきたために、ドイツ空軍は重武装の長距離爆撃機が必要となった。しかし、1,120kW(1,500hp)クラスのエンジン4発の爆撃機では十分な成果を見込むことは難しく思われた。ヨーロッパからアメリカへ十分な量の爆弾を搭載して爆撃に行き、安全に帰還する為の防御武装を十分に装備させるには同じクラスのエンジンの6発の戦略爆撃機が必要と判断された。この新事実を知ったメッサーシュミット社は6発機の"Me 264B"のペーパープランを提示した。それはMe 264のウィングスパンを47.5mに拡大し、既存の4基のエンジンの外側に2基のBMW 801エンジンを搭載したものであった。 1943年3月になって、フォッケウルフ社もその事実に基づいて元々4発機として設計されたFw 300爆撃機の6発機型を設計している。この機体はTa 400より先進的な設計になっており、1943年10月に提案された。この6発機はHe 277と同じエンジンを使用していた。 ユンカース社の6発機Ju 390は、戦争初期に旅客機に使用されていたJu 90と海上哨戒爆撃機のJu 290を発展させたものだった。それらもHe 277と同じエンジンを使用していた。 Me 264とJu 390は試作機が作られただけで実戦には参加しなかった。またHe 274は高高度での運用を前提とされていたので、競合するのは唯一自社のHe 277だけだった。He274の生産は1941年の終わりまでフランスのファルマン工場社(SAUF)に外部委託されていた為、ハインケル社自体はHe 277のように他のプロジェクトに注力できる体制になっていた。
※この「競争する爆撃機設計」の解説は、「He 277 (航空機)」の解説の一部です。
「競争する爆撃機設計」を含む「He 277 (航空機)」の記事については、「He 277 (航空機)」の概要を参照ください。
- 競争する爆撃機設計のページへのリンク