競争と買収・統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 01:40 UTC 版)
明治時代から大正末期になると、東京鉄道・利根発電・鬼怒川水力電気・桂川電力・江戸川電気・猪苗代水力電気など関東における電力会社が続々誕生するようになり、競争状態になった。特に東京電燈と、東京市電気局と協定を結んでいた鬼怒川水力電気、桂川電力から受電契約を結んで設立された日本電燈の3社による競争は熾烈になり、過当なダンピングが行われるまでに至った。この競争は1917年(大正6年)に協定が結ばれたことで終結し、東京電燈はその後日本電燈を買収した。この激しい競争から東京電燈を事実上の勝利に導いたのは、当時の社長で甲州財閥の重鎮でもあった神戸挙一であり、後に東京電燈の黄金時代を築いて行くことになる。 大正末期には地方でも電力会社の統合が進み、東京電燈、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力の5社が五大電力会社と呼ばれるようになった。しかし東京電燈は、1923年(大正12年)に関東大震災で甚大な被害を受けた。だが復興は急ピッチで進み、翌年2月には8割以上の復旧をみた。1923年6月27日、英貨社債300万ポンドを発行(電力外債の初め)。また、震災後急増した電力需要に対応するため、隅田川沿いに千住火力発電所(4本のお化け煙突で有名)の建設も開始し、1929年(昭和4年)には50,000 kWの供給力を持つ大型発電所となった。この間、1928年(昭和3年)4月1日には東邦電力系列の東京電力と合併した(資本金4億715万円となる)。
※この「競争と買収・統合」の解説は、「東京電燈」の解説の一部です。
「競争と買収・統合」を含む「東京電燈」の記事については、「東京電燈」の概要を参照ください。
- 競争と買収・統合のページへのリンク