究極のレシプロ戦闘機説
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「フォッケウルフ Ta152」の記事における「究極のレシプロ戦闘機説」の解説
日本においては、本機は時折「究極のレシプロ戦闘機」と呼ばれることがあり、21世紀においてもいまだ散見される。確かにカタログスペックとしては高い物があるものの、何をもって究極とするかの根拠が明確ではない。この文句には「究極の成層圏戦闘機」、「世界最強のレシプロ戦闘機」、と言ったバリエーションもある。 矢吹ら (2005) と 河野 (2009)は一般向けの三次資料、渡辺 (1999) は二次資料である。そうでなくとも本機はそのカタログスペック故か一部非常に高評価を与える文献が有る。鈴木五郎 (1975または2006) 第8章では同世代の列強戦闘機のカタログスペックを並べ「世界最強の戦闘機」、「第二次大戦最強の戦闘機」などとしており、野原 (2009) p.77でも当時の列強の主力戦闘機とカタログデータを並べ比較しており、野原 (1990) では、レシプロ戦闘機の極限とも言える高性能機である、としている。 反面歴史群像編集部 (2010) ではこの文句に触れながらも、唯一の量産型であるH型では発動機の不調が多発しておりMW 50も使用できず、(機械・兵器にはつきものの)初期不良も頻発し稼働率は低迷、中低高度での飛行性能は旋回性能以外はFw190D-9に劣るものであったと言及している。また同書ではドイツ空軍は1945年3月末以降、本機の生産を打ち切り、Fw190D-12の量産を決定したともしている。なおFw190D-12のエンジンはJumo 213Fである。 アメリカ合衆国ではレシプロ戦闘機において最高クラスの速度と高高度性能をカタログスペック通り発揮し、爆撃機の護衛と対地攻撃で活躍したP-51が『最強のレシプロ戦闘機』、『第二次大戦中の最優秀戦闘機』と呼ばれる。
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