科学における聖俗改革
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「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「科学における聖俗改革」の解説
「科学革命」も参照 科学における聖俗改革は、17世紀以降着実に進展していく。いわゆる「近代科学」は、ニコラウス・コペルニクスの地動説の提唱後、天文学分野におけるドイツのヨハネス・ケプラー、イタリアのガリレオ・ガリレイ、解剖学におけるイングランドのウイリアム・ハーヴェイ、アイルランド出身の化学者ロバート・ボイル、物理学分野におけるオランダのクリスティアーン・ホイヘンス、イギリスのアイザック・ニュートンらの研究によって成立した。実験と理論の両面におけるロバート・フックの貢献も大きく、こうした動きは「科学革命」と称される。ガリレイの宗教裁判でのエピソードは、しばしばキリスト教が科学の発展を阻害する元凶であるという文脈で語られることも多いが、これは必ずしも正確ではなく、17世紀における科学的発見や進歩はむしろキリスト教的な世界観・自然観から現れてきたものとみなせる。ケプラーの三法則の発見は神のもたらした調和的秩序を確信するところから生まれてきたものであったし、ニュートンの万有引力の発見もまた地上・天体の双方の運動を統合的にとらえる視点、宇宙を神の被造物ととらえる観点から生まれてきたのである。教義と学説の対立があったとしても、宗教そのものが否定されたわけではなく、宗教者と科学者が対立したわけではない。 とはいえ、科学の進展にともなって17世紀から18世紀にかけては、科学史家村上陽一郎が指摘するところの「真理の聖俗革命」と称されるべき現象が進行する。すなわち、真理の相対化と知識の世俗化である。自然を神の本質の必然的な表現とみて自然の営みの必然性を追究し、それを神ならぬ人間が発見していくと、逆説的ではあるが自然から神の存在を棚上げすることにつながる。ルネ・デカルトらの合理主義哲学における「機械論的自然観」もキリスト教的な自然観に内在しており、そこからの必然的な帰結ともいえるのであった。そして、その場合の神とは聖書に記された神ではなく理神論的な神であった。 ガリレオ・ガリレイ(1564年-1642年) ヨハネス・ケプラー(1571年-1630年) ウイリアム・ハーヴェイ(1578年-1657年) ロバート・ボイル(1627年-1691年) クリスティアーン・ホイヘンス(1629年-1695年) ロバート・フック(1635年-1703年) アイザック・ニュートン(1643年-1727年)
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