破壊の彫刻と集積の彫刻、ゴミの彫刻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 09:20 UTC 版)
「アルマン (美術家)」の記事における「破壊の彫刻と集積の彫刻、ゴミの彫刻」の解説
1959年からアルマンは、オブジェ自体を用いた彫刻作品を制作した。破壊したヴァイオリンやチェロ、ピアノなどの楽器の破片を、板やコンクリートに固定した「破壊」のシリーズを、コレール(『怒り』)と名づけた。 アルマンを有名にしたのは、1種類の中古品を集積したシリーズである。彼は砕いた楽器、靴、靴の木型、カメラ、ガスマスク、ゴム印、目覚まし時計、壊れた人形、フォーク、車の部品、松葉杖、サーベルなどを蚤の市などで大量に買い集め、1種類の品を木枠に押し込んだ作品を作った。同じものが平面上に数十個も集められることで、個々の物は性質や目的を失った単なる粒になり、アイデンティティーが解体するのである。さらに細かな歯車や部品、絵具チューブやブラシなどを透明な合成樹脂に均一に封じ込める包含の彫刻も作っている。 ほかに有名なものは、透明容器の中に生ゴミや衣服、展覧会に来た者が持参している紙くずなどを集積したプベル(『ゴミばこ』)も、1959年より作成している。 1960年10月25日には、旧友イヴ・クラインが画廊の中に何も置かない『空虚』展を開いたイリス・クレール画廊で、画廊の部屋いっぱいにゴミを詰め込んだ『充満』展を開いた。彼のこうした作品は、ピエール・レスタニら美術評論家の注目するところとなり、2日後の10月27日にはイヴ・クラインやセザールらのヌーヴォー・レアリスムという集団に参加した。また1961年には、ニューヨーク近代美術館での『ジ・アート・オブ・アッサンブラージュ』展に出展し、以後は年の半分をニューヨークで暮らし、ロバート・ラウシェンバーグらネオダダの作家たちと行動するようになった。
※この「破壊の彫刻と集積の彫刻、ゴミの彫刻」の解説は、「アルマン (美術家)」の解説の一部です。
「破壊の彫刻と集積の彫刻、ゴミの彫刻」を含む「アルマン (美術家)」の記事については、「アルマン (美術家)」の概要を参照ください。
- 破壊の彫刻と集積の彫刻、ゴミの彫刻のページへのリンク