知的関心事と交友
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 14:30 UTC 版)
「ヘンリー・パーシー (第9代ノーサンバランド伯)」の記事における「知的関心事と交友」の解説
ノーサンバランド伯は科学実験に興味を持ち、また当時のイングランドにおいて最大級の図書館を所有していたため、「魔法使い伯(The Wizard Earl)」の異名をとった。また、研究者のパトロンでもあり、伯爵の支援を受けたものとして、トーマス・ハリオット、ニコラス・ヒル(英語版)、ロバート・ヒュース(英語版)、ナサニエル・トーポリー(英語版)、ウォルター・ワーナー(英語版)らがいた。モートレイクのサイオン・ハウス(英語版)近くに住んでいた占星術師のジョン・ディーも伯爵の友人であり、彼らのサークルと交友していた。この中でハリオットはローリーや彼の船長たちに航海術を教えた人物であり、ガリレオよりも数か月早く、望遠鏡を使った観測により月の地図を作成した。また、太陽黒点を始めて観測した人物の可能性もある。1598年から(あるいは1607年から)サイオン・ハウスに住んでいた。 ノーサンバランド伯は文人たちとも交友があった。パーシーがガーター勲章を受章した際、1593年6月26日にジョージ・ピール(英語版)は伯爵に詩『The Honour of the Garter』を書き捧げた。これに対し、ピールは3ポンドを受け取った。クリストファー・マーロウもまた彼の知人であったと明かし、確かに同じグループで活動していた。ジョン・ダンとも友人であり、1601年にドンが駆け落ちして密かに結婚した時には、その義父となったジョージ・モア卿(英語版)に、本人に代わって自ら手紙を届けた。 ウィリアム・シェイクスピアの 『恋の骨折り損』(1594年)には、「夜の学校(School of Night)」についての言及がある。これはシオンハウスで出会った科学研究者たちのサークルを指しているという説があるが、「学校(スクール、school)」ではなく、「肩掛け(ショール、shawl)」の誤植ではないかという異論もある。伯爵はしばしば無神論者と見なされていたために、「学校」は「無神論の学校(School of Atheism)」と呼ばれることもあった。ローリーがリーダーで、トマス・ハリオットとマーロウがメンバーだと思われていた。フランセス・イエイツは、この仮説に基づいたグループについて、『Shadow of Night』を書いたジョージ・チャップマンも参加していただろうとし、そのようなローリーのサークルの一部について、彼女は自身の研究において「幸福な者達(Saturnians)」だったという趣旨でコメントしている。
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