真帆の関係者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 13:37 UTC 版)
嘉平(かへい) 真帆の父。25年間浮舟で奉公し、最後は板長を務めた。産地偽装事件では、主人に代わって和助に謝罪し、和助の諭しに従って主人を諫めようとしたが、かえって井川屋に責任転嫁する噂を流した主人に愛想を尽かして店を引いた。その後、船越町に料理屋「真帆屋」を開いた。 真帆から、松吉が寒天の味わいを理解できずに悩んでいることを聞いた嘉平は、料理人の常識を破り、松吉に手伝わせながら、寒天を使った看板料理「琥珀寒」を食べさせた。そのおかげで、松吉は料理における寒天の価値に気づかされることになる。 琥珀寒の成功にもかかわらず、さらに新しい料理を模索していた。その頃、松吉に「今の倍の腰の寒天ができれば、料理の幅が広がる」と語り、それが後に松吉が糸寒天や練り羊羹を開発するきっかけを与えることとなる。 天明3年の大火のとき、真帆を連れて逃げる途中で、焼け落ちる柱に直撃されて死んだ。 お広(おひろ) 火事で娘のおてつを失い、その時現場にいた真帆を連れて逃げた。以来、娘を失った悲しみから、真帆をおてつと混同し、共に暮らすようになる。そして、順慶町に団子の屋台見世を開いたが、うまいと評判になった。寛政の南の大火で焼け出されたが、すぐに屋台見世を復活させ、寛政9年の春には店舗を構えるまでになった。 松吉が桜花堂の丁稚に叩き出されたときは、菓子店にとっての餡がどれほど大切なものかを説明し、代わりに自分の店の餡を分けようと言ってくれた。そして、真帆に縁談があるがどう思うかと松吉に尋ね、その答えを聞いて松吉こそ真帆の相手にふさわしいと思い、自ら縁談を断りに行った。 松吉が苗村の墓参から戻ってきたときには、心臓病のために死の間際だった。そして、最後に「おてつ、もうええよ」とつぶやいてこと切れる。その人柄から、葬儀には多くの弔問客が訪れた。
※この「真帆の関係者」の解説は、「銀二貫」の解説の一部です。
「真帆の関係者」を含む「銀二貫」の記事については、「銀二貫」の概要を参照ください。
- 真帆の関係者のページへのリンク