真実とは何か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 16:51 UTC 版)
1969年(昭和44年)に大阪大学を定年退職した二国二郎は、5年後の1974年(昭和49年)、前述した微生物病研究所附属病院芝茂院長の停年退官記念式での挨拶を依頼された。二国にとって芝はN農婦の検査入院に際し多大な恩義を受けた人物であり、ここで二国は改めて岡山の田尻へ「その後の経過を知りたい」旨連絡し、同年3月9日、実に8年ぶりに田尻医院を訪問した。一時期は疎遠になっていたものの、田尻はその後の経過をまとめるため岡山大学を訪れて資料を用意して二国を快く迎え入れ、さらに退院したN農婦を医院へ呼んでいてくれた。この時N農婦はすでに60歳を過ぎてはいたものの、かつての痩せ衰えた姿とは打って変わって元気な様子で、日々農業に従事しているという。 大阪へ戻った二国は翌週の同年3月15日、芝教授の退官式典の檀上『真実とは何か』と題した講演を行った。 …ですから私は、これらの奇病が真実であればその原因を、また人為的なものであればそのからくりの方法と理由を、どうしても知りたかったのでございます。(中略)…何れにしましても、綿ふき病患者が軽癒しましたことは誠に結構ですが、私の人間不信はまた深まって参りました。(中略)…傷口の腐敗と全身の衰弱で死に瀕しながら、何の得もないのに異物を身体に入れ続け得るものだろうか。それがヒステリーであると言われればそれまでですが、厳重な監視の目をどうくぐり抜けるのであろうか。一体真実とは何か、全く解らなくなりました。… — 『真実とは何か』1974年3月15日 二国二郎 大阪大学微生物研究所芝教授退官式講演より一部改変引用。 講演の最後に二国は「真実とは芝先生の御人柄のことである」と結んでおり、問題解決に向け大学内で奔走した芝の立場上の苦しさ、そして何よりも二国自身が無念であったのだろうと、真実を追いながらも不本意な結果に終わってしまった同志の心情を増田は慮っている。
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