県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:34 UTC 版)
「SACO最終報告」の記事における「県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練」の解説
矢臼別 王城寺原 東富士 北富士 日出生台 訓練移転先 平成9年度中にこの訓練が日本本土の演習場に移転された後に、危機の際に必要な砲兵射撃を除き、県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練を取り止める。 —訓練及び運用の方法の調整、SACO最終報告(仮訳) 県道104号超え実弾砲兵射撃訓練(英語: Artillery live-fire training over Highway 104)は、朝鮮戦争の前後からキャンプ・ハンセンで行われている訓練であり、金武町の近隣に砲座を設置して沖縄県道104号線を挟んで4キロメートルほど離れた金武岳・ブート岳などの恩納岳を着弾地とする形で行われてきた。沖縄返還後も1973年3月30日から実施され、2回めの4月24日から104号線の封鎖が行われている。演習の都度県民の生活道路が封鎖されるのみならず、着弾によって生じる騒音・振動・森林火災、そして使用される155ミリ榴弾砲の射程距離(約30キロメートル)が訓練区域の規模を超過することによる安全性への懸念などから、県による米軍や那覇防衛施設局(現・沖縄防衛局)に対する演習の中止・廃止要請が繰り返しなされており、本取り組みはこれらを受けて行われたものである。 防衛庁(当時)による移転先地元関係者との折衝の結果、「5か所すべての演習場の地元から、分散・実施についての理解が得られた」として、沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練は矢臼別(北海道)・王城寺原(宮城県)・東富士(静岡県)・北富士(山梨県)・日出生台(大分県)で実施されることとなり(他県においても「沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練」の名称で行われる)、1997年3月の180回目となる訓練を最後にキャンプ・ハンセンにおいては行われていない。 一方で、キャンプ・ハンセンでは小銃などを用いた実弾射撃訓練が引き続き行われており、「榴弾砲射撃の分の負担は確かに減ったが、根本的な問題は解決されていない」との地元の声もある。また、沖縄以外での訓練機会の拡大が米軍の練度維持と即応力強化に資する結果となっている側面もあり、移転訓練の範囲が日米合意の枠を超えて拡大しているとの批判もなされている。
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