皇民化運動と先住民族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 02:58 UTC 版)
「高砂義勇隊」も参照 日中戦争の開始と、これに伴い武官総督制が復活する。それとともに、本格的な皇民化運動が推進される。1937年(昭和12年)4月から、台湾人の母語の使用が制限され、新聞の漢文欄も廃止され、伝統的宗教行事も禁止された。さらに日本語の使用強制、天照大神の奉祀や日本式姓名への改姓名運動が終戦直前まで強行された。そして1941年12月の太平洋戦争の勃発後、先住民族の青年たちは南方作戦へ動員された。陸海軍から供出を命ぜられた総督府が、軍後方任務の労務者、山地戦要員として7回ほど「高砂義勇隊」を編成して先住民族を南方戦線に送った。その高砂義勇隊を指揮したのは、理蕃警察官であった。「蕃社」における警察支配の構造がそのまま戦場に移動していったのである。また先住民族統治技術のマニュアルとしての「理蕃大綱」は、「文化の低い南方原住民指導の一大指針、すなわち無二の指導者心得帳たりうるもの」として、南方の少数民族に対しても用いられようとした。
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