皇帝との対立、そして「金印勅書」とは? わかりやすく解説

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皇帝との対立、そして「金印勅書」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:57 UTC 版)

中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事における「皇帝との対立、そして「金印勅書」」の解説

神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世イタリア政策積極的に進めよう皇帝代理イタリア派遣したが、このことがアヴィニョンヨハネス22世刺激し教皇イタリアにおける自身権益脅かされているものと認識したヨハネス22世ルートヴィヒ4世教皇による国王としての、あるいは皇帝として承認受けていないにもかかわらず国王として、また皇帝として振る舞っているとして批判したヨハネス22世は以上の論法からルートヴィヒ4世教皇服従することを求めたが、ルートヴィヒ4世応じようとしないので、これを破門した。これに対しルートヴィヒ4世選挙に基づく王権独立性訴えた彼に理論的根拠与えたのはパドヴァのマルシリウスで、『平和の擁護者』を著して法の権威人民求め教会介入に対して政治社会自律性主張した教皇首位権に対して聖職者の平等を訴えてこれに挑戦する内容であったルートヴィヒ4世1327年イタリア遠征出発しローマ入城し1328年にはローマ人民によって戴冠された。カール大帝以来帝冠教皇によって戴冠されるものと考えられていたのに対し、この新式戴冠明らかに同行していたマルシリウスの示唆よるものだった。ルートヴィヒ4世ヨハネス22世廃位宣言しニコラウス5世擁立した。しかしニコラウス5世皇帝イタリアを去ると、1330年にはヨハネス22世屈服したその後ルートヴィヒ4世オッカムのウィリアムなどの有力な理論的神学者用いヨハネス22世とその跡を継いだベネディクトゥス12世クレメンス6世との間で長い論争続いたが、決着はつかなかった。 論争続けられる一方1338年帝国法「リケット・ユーリス」が決議され皇帝選挙根拠定められた。これは皇帝の位と権力が神に由来することを示し選挙侯による選挙によって選ばれた者がただちに国王であり、皇帝であることを定めたもので、ドイツ国王位と神聖ローマ皇帝位に対す教皇介入徹底的に排したものであったルートヴィヒ4世死後ルクセンブルク家ベーメンカールカール4世として即位すると、金印勅書制定し国王選挙権を7人の選帝侯限り、さらにその選帝侯権利それぞれの領国に結びつけられ長子相続によることが定められた。これによりドイツ国王教皇承認を経なくても皇帝行使をおこなうことが可能となり、皇帝位ドイツ国王位と永久的に結びつけられたが、一方で選帝侯領国内での無制限裁判至高関税徴収貨幣鋳造権などの諸特権獲得し国王からの自立性強めた。 [先頭へ戻る]

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