皇室との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 18:35 UTC 版)
「菊栄親睦会」も参照 皇籍を離脱した後も「皇室の親戚」という立場には変わりがなく(後述)、皇室の親族が所属する親睦団体の菊栄親睦会に所属して現在でも皇室と親しく交流を続けている。 東久邇家は、昭和天皇・香淳皇后の第一皇女照宮成子内親王の婚家であり、成子の長男信彦王(誕生当時)は天皇皇后の初孫であった。「東久邇家の孫」たちとは、成子が1961年(昭和36年)に早世して以降も天皇・皇后の外孫として親交があった。1963年(昭和38年)3月9日の皇后の還暦祝いでは成子の三男眞彦と浩宮徳仁親王(当時)の従兄弟同士で出し物を披露したり、同年夏や1966年(昭和41年)夏には「東久邇家の孫」たちが那須御用邸に招かれている。 北白川祥子(北白川宮永久王妃)は、靖国神社奉賛会会長を務めて同神社の復興に尽力した後、1969年(昭和44年)から30年余りに渡って宮内庁女官長(のち皇太后宮女官長)として香淳皇后に仕えた。祥子は常陸宮妃華子の叔母、かつ、実兄の徳川義寛も侍従であり、皇室と深い関係を維持し続けた。 久邇朝融(香淳皇后の兄)や、東久邇成子・東久邇盛厚夫妻の比翼塚など、一部の旧皇族は豊島岡墓地に葬られている。
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