白作戦とファニー・ウォー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 07:56 UTC 版)
「メッサーシュミット Bf110」の記事における「白作戦とファニー・ウォー」の解説
ドイツ空軍はそれまでは「重戦闘機」という機種があったが、1939年5月からは、これは「駆逐機」と呼ばれる様になった。1939年9月に第二次世界大戦が始まった時、ドイツは10個駆逐飛行隊を所持しており、Bf110の本格量産型であるC型は1939年1月より生産がはじまったが、9月の開戦時にはまだ配備数は少なくわずか3個飛行隊のみで、あとの7個飛行隊にはBf109が装備されている状態であった。ポーランド侵攻ではその時のBf 110の全力となる第1「駆逐航空団」第I飛行隊、第1教導航空団第I飛行隊、第76駆逐航空団第I飛行隊、の保有する102機(稼動機は90機;C型を基幹とし一部B型)が投入され、ポーランドの装備する旧式機を相手に第1教導航空団第I飛行隊が撃墜30機を報告、第76駆逐航空団第I飛行隊が撃墜31機を報告し19機が確認されるなど、相応の活躍がみられたようだ。任務は地上部隊とJu-87の支援。北部戦線で活動した第76駆逐航空団第I飛行隊は最初の1週間で31機の撃墜を報告し、19機が確認されている。第1教導航空団第I(駆逐)飛行隊はこの戦役で撃墜確実30機を報告。一説によればこの飛行隊の戦果は、白作戦に参加したあらゆる戦闘機隊の中で最大のものである。なお、この戦役では小回りの利く敵戦闘機PZL P11cとの格闘戦に巻き込まれないよう、「クライム・アンド・ダイブ」という戦術が編み出されたという。また別の文献によれば、格闘戦に引き込まれないよう、速度性能を生かし一撃離脱に徹して戦果を挙げたという。 西部戦線では1939年12月18日にドイツ本土へ飛来した英軍ウェリントン爆撃機22機に対し、Bf109と共同でこのうち11機乃至は17機を撃墜する戦果を挙げるなどしている(ドイツ湾の戦い)。
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