発行に至るまでの経緯と歴史的背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:00 UTC 版)
「二千円紙幣」の記事における「発行に至るまでの経緯と歴史的背景」の解説
第26回主要国首脳会議(沖縄サミット)と西暦2000年(平成12年)(ミレニアム)をきっかけとして、1999年(平成11年)に当時の小渕恵三内閣総理大臣の発案によるもので、2000年(平成12年)7月19日に森内閣の元で発行された。 なお、糸井重里はエフエム東京『サントリー・サタデー・ウェイティング・バー』にて、自身が二千円紙幣の発案に関わっていると語っている。 1946年(昭和21年)の新円切替後、初の「1」と「5」以外の単位の通貨であること、建築物が表面の主模様となるのは1946年(昭和21年)発行のA十円券以来で表面のデザインが人物肖像でないこと、さらにこれまでになかった最新の偽造防止技術が多数採用されていることなどにより、発行前から注目を浴びこの時点では一般大衆からの反応は比較的良好であったが、後述のような経緯や背景から沖縄県以外では普及は進んでいない。 なお、二千円紙幣の発行を企画した当時の内閣総理大臣であった小渕恵三本人は、実物の発行を見届けることなく2000年(平成12年)5月14日に脳梗塞で急死した。発行時には、記号番号「A000003A」が、妻の小渕千鶴子に贈呈された。また発行開始のきっかけとなった第26回主要国首脳会議の出席者にも若い記番号の紙幣が記念品扱いで贈呈されている。
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