発展型・BT-7M
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当時のソ連軍の軽戦車及び快速戦車は、弱装甲の上にガソリンタンクから引火して撃破されるケースが多く問題となっていた。そこで引火点の高い軽油を用いる戦車用ディーゼルエンジン型が求められ、ドイツのユンカース社が開発した航空機用ディーゼルエンジンが研究用として購入された。しかしソ連の技術者はより軽量なディーゼルエンジンを目指し、イスパノ・スイザ航空機用水冷ガソリンエンジンをベースに、アルミ合金を多用してディーゼル化、これはVD-2と命名された。1936年には4輌のBT-7に搭載して試験が行われ、改良されて(後にT-34に搭載される)V-2となった。1939年6月にはこれを搭載する試作車2輌の試験が開始され、これはBT-7Mとして量産されることとなった。 BT-7Mは外見上、エンジングリルと工具類の配置の違いでそれ以前の型と識別が可能であった。ガソリンエンジン型では円盤型のベンチレーターカバーが付くが、ディーゼルエンジン型では同じ位置に小さな丸く膨らんだカバーがあるだけである。ただし、1940年に生産されたNKVD向けの72輌のBT-7Mは、他の使用車輌との兼ね合いのためか、従来のガソリンエンジンを搭載している。外見上の違いのわかる写真は見当たらないが、おそらく工具類の位置がM型仕様で、エンジングリルが旧型と同じであろうと思われる。 本車の軍への引渡しが開始されたのは1939年12月のことであったが、以前よりノモンハン事件を記録した日本語の書籍では、部隊編成すらされていないはずのBT-7Mが「大量投入され、火炎瓶攻撃が無効となった」とする記述が多かった。しかしロシア側から日本に入ってくる資料では、これを肯定する記述は一切見られない。後に火炎瓶を装備した歩兵や地雷工兵に対しては、梯形隊形で進撃し、攻撃を受ける前列を後列の戦車が援護する戦法で対応、肉薄攻撃をほぼ封殺することに成功している。
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