発売延期と開発の遅れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 00:25 UTC 版)
「ポケットモンスター 金・銀」の記事における「発売延期と開発の遅れ」の解説
タイトル自体は前作の発売から間もない1996年の春に『ポケットモンスター2』として発表され、発売予定時期は1997年末とされていた。しかし開発が大幅に遅れ、1997年夏のNINTENDOスペースワールド’97で体験版が出展された。それ以降、『ポケットモンスター2』のタイトルロゴが変更されポケットモンスター『金・銀』1998年3月下旬発売予定となっていた。結果として発売されたのはさらにその1年以上後、『赤・緑』の発売から3年半以上が経過した時期であったが、それが本作の「前作の3年後の物語」という舞台設定とリンクしている。最終的に1999年11月まで発売が延期されたため、アニメ版が金銀編のストーリーを先行する形となった。 開発当初は『赤・緑』同様ゲームボーイ用ソフトとして発売予定だったが、開発の遅れによりゲームボーイカラーが先に発売されたため、ゲームボーイ&カラー共通カートリッジに変更された。このため、当初公開されたゲーム画面のスクリーンショットは『赤・緑』と同程度のグラフィックだったが、製品版におけるゲーム画面ではグラフィックが向上している。 当時ハル研究所社長であった岩田聡がプログラマーとしてグラフィックの圧縮に貢献しており、VC版(後述)『金・銀』のポケモンを『ポケットモンスター ウルトラサン・ウルトラムーン』へ連れて行き、モリモトとのバトル時に手持ちに入れていると特別なメッセージを聞くことができる。 発表初期には、スピードアップアイテムの変更として自転車がスケートボード(アイテム名は「スケボー」)になると幾つかの雑誌で発表され、公式イラストも登場したが、結局変更されず、自転車のままだった。また同時に「相手トレーナーのポケモンを捕獲できるようになる」というシステムも発表されたが、こちらも廃案となった(このアイデアは後年『ポケモンコロシアム』の「スナッチ」として採用された)。 当時任天堂はゲームボーイ用ロムカセットを台湾で製造していたが、発売同年9月に起こった921大地震で製造工場は大打撃を受けた。そのため、同年11月1日に予定していたニンテンドウパワー用GBメモリカートリッジの発売を翌年3月1日に延期し、全製造ラインを本作に回すという緊急の処置を取った。だが、需要に対して供給は全く追いつかず、発売1ヶ月ほどは深刻な品薄状況が続いた。しかし、そのような事態に見舞われながらも本作は1999年ゲーム売り上げ本数1位となった。
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