畿内電気鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 16:43 UTC 版)
1901年(明治34年):渋沢栄一、成田鉄道社長佐分利一嗣らを中心とした関東の実業家、ならびに衆議院議員岡崎邦輔が、官設鉄道東海道本線のルートから外れた旧京街道(現在の国道1号に相当)大阪市 - 京都市間を結ぶ電気鉄道を私設鉄道法に基づく京阪鉄道として敷設することを計画。 1902年(明治35年):村野山人、松本重太郎らを中心とした京阪神地区の財界人が、官設鉄道東海道本線のルートから外れた旧京街道に沿って大阪市 - 京都市間を結ぶ電気鉄道を軌道条例に基づく畿内電気鉄道として敷設することを計画。 1903年(明治36年)11月9日渋沢栄一、佐分利一嗣成ら関東の実業家、ならびに岡崎邦輔、村野山人、松本重太郎らを中心とした京阪神地区の財界人が合流し、畿内電気鉄道株式会社を創立。 軌道条例に基づき、畿内鉄道 大阪市東区高麗橋詰町(現在の大阪市中央区東高麗橋付近) - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰(現在の京都市東山区朱雀町付近)間の電気軌道敷設の特許を内務省に請願。現在の京阪本線の起源。 この間内務省が、逓信省鉄道作業局が運営する官設鉄道東海道本線 大阪 - 京都間の路線と競合することなどを理由に、畿内鉄道が計画する大阪市東区高麗橋詰町 - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰間の電気軌道敷設の特許下付に難色を示す。 渋沢栄一、佐分利一嗣ら関東の実業家、ならびに岡崎邦輔が内務省および逓信省鉄道作業局との折衝を図る。 1906年(明治39年)8月25日:原敬内務大臣から大阪市東区高麗橋詰町 - 京都市下京区朱雀町五条大橋東詰間の電気軌道敷設の特許状、ならびに命令書が下付。 8月30日:畿内電気鉄道株式会社起人総会が開催され、渋沢栄一が創立委員長に就任し、創立委員6名を選任。
※この「畿内電気鉄道」の解説は、「京阪電気鉄道」の解説の一部です。
「畿内電気鉄道」を含む「京阪電気鉄道」の記事については、「京阪電気鉄道」の概要を参照ください。
- 畿内電気鉄道のページへのリンク