畿内政権からみた尾張氏とは? わかりやすく解説

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畿内政権からみた尾張氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 02:16 UTC 版)

尾張氏」の記事における「畿内政権からみた尾張氏」の解説

『日本書紀』では天火明命後裔とされ、皇統譜の古い時期から尾張氏天皇結びつき、しばしば后妃出した氏族とされる遠祖である奥津余曾の妹、余曾多本毘売命(世襲足媛)は第5代孝昭天皇皇后となり、子は第6代孝安天皇となっている。第10代崇神天皇尾張大海媛を妃としている。 尾張国造乎止与命(をとよ)の子建稲種命倭建命ヲウス日本武尊第12代景行天皇皇子)の東征副将軍として随伴し軍功上げた。妹のミヤズヒメ宮簀媛『日本書紀』美夜受比売『古事記』)は東征の還路に尾張の地で娶られ、そのとき預かった草薙剣奉納し熱田社を建てたとある。建稲種命の子の尾綱根命は応神朝に大臣として活躍しその子尾張意乎己は仁徳朝の大臣となっている。第15代応神天皇建稲種命の孫の仲姫命皇后としている。 第26代継体天皇大和国入りするまでの正妃尾張連草香の娘、目子媛である。第一子勾大兄皇子は第27代安閑天皇として、檜隈高田皇子は第28代宣化天皇として即位。第30代敏達天皇皇后額田部皇女(第33代推古天皇の子尾張皇子がいる。 壬申の乱では海部氏養育され大海人皇子私邸資金提供するなど全面的に支援し彼の40代天武天皇誕生格段功績上げている。持統天皇10年696年5月条に、尾張宿禰大隅位階功田授けられる記事見える。『続日本紀』天平宝字元年757年12月によれば、この突然の恩賞授与記事は、壬申の乱功績よるものであるという[要出典]。

※この「畿内政権からみた尾張氏」の解説は、「尾張氏」の解説の一部です。
「畿内政権からみた尾張氏」を含む「尾張氏」の記事については、「尾張氏」の概要を参照ください。

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