町丁の設置以降
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1976年(昭和51年)に与次郎ヶ浜地区において住居表示が実施されることとなった。それに伴い町域の再編が実施され同年10月12日に下荒田町の一部より、新たに「与次郎一丁目」及び「与次郎二丁目」が設置された。 その後、テレビ局の本社や新聞社の与次郎への移転が相次ぎ、1982年(昭和57年)には鹿児島放送が与次郎二丁目に本社を建設し開局、1993年(平成5年)には与次郎一丁目に鹿児島讀賣テレビが本社を建設し開局、2001年(平成13年)に南日本新聞の本社が易居町から与次郎一丁目に移転した。 2004年(平成16年)5月には与次郎ヶ浜地区の用途地域の見直し及び観光地区指定の廃止の都市計画が決定された。このことにより、マンションなどの共同住宅や病院の建設が可能となった。2006年(平成18年)10月にはジャングルパーク遊園地跡地に複合映画館を核とした複合商業施設であるフレスポジャングルパークがオープンした。
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町丁の設置以降
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1992年(平成4年)9月14日に五ケ別府町および山田町の各一部にあたる皇徳寺ニュータウン地区において住居表示が実施されることとなり、「皇徳寺台一丁目」、「皇徳寺台二丁目」、「皇徳寺台三丁目」、「皇徳寺台四丁目」、「皇徳寺台五丁目」が設置された。丁目別の詳細としては、皇徳寺台一丁目から皇徳寺台三丁目までは山田町の一部、皇徳寺台四丁目は五ケ別府町及び山田町の一部、皇徳寺台五丁目は五ケ別府町の一部であった。 1997年(平成9年)11月17日に五ケ別府町の一部及び皇徳寺台五丁目の一部が皇徳寺台四丁目に編入され、五ケ別府町の一部が皇徳寺台五丁目に編入された。 2008年(平成20年)11月10日には山田町の一部にあたる南皇徳寺台地区が皇徳寺台三丁目および皇徳寺台四丁目に編入された。2016年(平成28年)2月1日には山田町の一部が皇徳寺台一丁目に編入された。
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町丁の設置以降
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1989年(平成元年)2月13日に田上町、五ケ別府町、山田町の各一部にあたる「星ヶ峯団地地区」において住居表示が実施されることとなったのに伴い、田上町及び山田町の各一部より「星ヶ峯一丁目」、田上町及び山田町、五ケ別府町の各一部より「星ヶ峯二丁目」、五ケ別府町の一部より「星ヶ峯三丁目」、山田町及び五ケ別府町の各一部より「星ヶ峯四丁目」、「星ヶ峯五丁目」が設置された。1993年(平成5年)3月1日には「星ヶ峯ニュータウン」地区において住居表示が実施され、山田町及び田上町の各一部が星ヶ峯一丁目に編入された。2004年(平成16年)4月1日には星ヶ峯みなみ台の区域にあたる五ケ別府町の区域を編入し、「星ヶ峯六丁目」が設置された。
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町丁の設置以降
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「東谷山 (鹿児島市)」の記事における「町丁の設置以降」の解説
1979年(昭和54年)2月26日に笹貫・谷山塩屋地区の区域において住居表示が実施されることとなった。それに伴い町域の再編が実施され谷山塩屋町、上福元町の各一部より分割され「東谷山一丁目」が設置された。1982年(昭和57年)2月15日には桜川地区において住居表示が実施されることとなり、上福元町の一部より「東谷山二丁目」、「東谷山三丁目」が設置され、同時に東谷山一丁目の一部に編入された。 1988年(昭和63年)2月15日には桜川地区において住居表示が実施されることとなり、それに伴い町域の再編が行われ上福元町の一部より「東谷山四丁目」及び「東谷山五丁目」が設置された。1992年(平成4年)3月には鹿児島南警察署前から皇徳寺台に至る都市計画道路であり、町域を東西に横断する「小松原山田線」が開通した。1997年(平成9年)2月17日には桜川第二地区において住居表示が実施されることとなり、上福元町及び中山町の各一部より「東谷山六丁目」、中山町の一部より「東谷山七丁目」が設置され、上福元町の一部が東谷山四丁目に編入された。
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