田中休愚とは? わかりやすく解説

田中休愚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 03:10 UTC 版)

田中 休愚(たなか きゅうぐ、寛文2年3月15日1662年5月3日〉- 享保14年12月22日1730年2月9日〉)は、江戸時代中期の農政家、経世家。旧名は窪島 喜六田中 丘隅田中 休愚右衛門田中 喜古(たなか よしひさ)とも名乗り、号は冠帯老人・武陽散民。大岡越前守忠相に見出され、その下で地方巧者として活躍した。なお、共に大岡支配の役人として活動した蓑正高は娘婿にあたる。


注釈

  1. ^ 生家の窪島家は元・武田家の家臣だったが、主家滅亡後に平沢村で農家となった。
  2. ^ 窪島家と同様、武田家の旧臣の家系。
  3. ^ 問屋は、宿駅の公私旅行者に対して、人馬逓送・宿泊などの役務を総理する役人といわれ、宿場運営の全責任を負った[2]
  4. ^ 禹王は、かつて黄河の治水を成し遂げたとされる人物。
  5. ^ 文命は、禹王のこと。
  6. ^ 神奈川県足柄上郡山北町に文命西堤碑、南足柄市に文命東堤碑。

出典

  1. ^ 富士山噴火災害文献調査報告書東京大学社会情報研究所廣井研究室、2003年11月14日
  2. ^ a b c d e f 武部健一 2015, p. 110.
  3. ^ 『撰要類集』。
  4. ^ a b 斎木一馬・高柳光寿 1966, p. 146.
  5. ^ 神崎・福島・大貫・西川 1996, p. 187.
  6. ^ 古川愛哲 2010, p. 144.
  7. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.39


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