生い立ち - 御料牧場へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 03:25 UTC 版)
「尾形藤吉」の記事における「生い立ち - 御料牧場へ」の解説
1892年、北海道有珠郡伊達町(現・北海道伊達市)の開拓農家に、大河原栄次郎・キク夫妻の次男として生まれる。父方の大河原家、母方の尾形家は、双方とも亘理伊達家の旧臣であり、主君・伊達邦成に従って当地に入植していた。家では2頭の農耕馬を飼い、栄次郎はその手入れのすべてを自ら行う馬好きな人物だった(藤吉が3歳の時に死去)。藤吉も幼少より馬に親しみ、尋常小学校に入学してからは夏になると裸馬の背に立って乗り回し、友人らに「立ち乗りの藤ちゃん」とあだ名された。 高等小学校4年次であった1907年9月、異父弟が川遊びの最中に溺死する不幸に見舞われ、さらに10月には大火が伊達町を襲い、藤吉を消沈させた。しかし翌11月、官営の新冠御料牧場に勤めていた大叔父・阿部哲三が火事見舞いに訪れると、藤吉はこれを新局打開の機会と捉え、自らを御料牧場へ連れていくよう哲三に頼んだ。すると好感を抱いた哲三も母キクの説得に努め、これを認められて藤吉は哲三と共に御料牧場へ移り、馬術見習生となった。牧場に入ってしばらくは雑用をこなしていたが、2カ月後に前担当者の過失から「豪サラ」の種牡馬ウヰリアムの乗り運動を新たに担当することになり、曲のある同馬とともに乗馬技術を磨いていった。1908年には近隣の牧場から人馬を集めて行われる祭典競馬にも参加し、2戦1勝・2着1回の成績であったという。
※この「生い立ち - 御料牧場へ」の解説は、「尾形藤吉」の解説の一部です。
「生い立ち - 御料牧場へ」を含む「尾形藤吉」の記事については、「尾形藤吉」の概要を参照ください。
- 生い立ち - 御料牧場へのページへのリンク