生い立ち:1944年~1952年
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「フィリップ・ドリュイエ」の記事における「生い立ち:1944年~1952年」の解説
1944年6月28日、フランス・オート=ガロンヌ県の町トゥールーズにて生まれる。「フィリップ」という名前は、第二次世界大戦中に発足されたヴィシー政権下のフランスでプロパガンダを担当していた活動家のフィリップ・アンリオ(英語版)から取られており、奇しくもドリュイエの生まれた日は、彼がレジスタンスによって暗殺された日でもあった。両親は当時フランス民兵団のメンバーで、父親のヴィクトル(Victor Druillet)はかつてスペイン内戦においてナショナリスト派に加担していた人物であり、母親のドゥニーズ(Denise Druillet)と共にジェール県での民兵活動に従事していた。 ヴィシー政権が崩壊した1944年の終わり頃、両親はドイツのジークマリンゲンに亡命。その後ドリュイエは祖母に連れられてスペインのカタルーニャに移り、同州の町フィゲラスで少年時代を送った。この頃のドリュイエは一日中絵を描いて過ごしていたため、両親の知り合いから『あの子は将来ダリのような画家になるぞ』と言われていた。その一方、学校ではクラスメイトたちから「汚いフランス人」と呼ばれ、からかわれていた。 1945年、両親は欠席裁判において国家反逆罪により死刑を宣告される。 1952年、彼が7歳の時に父ヴィクトルが亡くなったのを機に、一家はフランスに帰国。程なくしてパリの16区に定住した。しかし一家の暮らしは非常に貧しく、ドリュイエはインタビューで「立派な城に住み、たくさんの家具と本を持つ裕福な家族の息子に生まれたかったが、不幸なことにそうはならなかった」と当時を振り返っている。
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