生い立ちとモロッコでの軍役
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「アルベール・ダマデ」の記事における「生い立ちとモロッコでの軍役」の解説
1856年12月24日トゥールーズに生まれる。 1874年サン・シール陸軍士官学校に入学。訓練を積んだのち1876年に少尉となりアルジェリアのライフル部隊である第3連隊(3rd Algerian Tirailleurs Regiment)に入る。1881年にアルジェリアより帰還すると第143歩兵連隊(143e régiment d'infanterie)にて中尉に昇格。1885年3月に第108歩兵連隊(108e régiment d'infanterie)に異動となる。その後1904年までトンキンでの軍役に参与。フランスに戻ると第71歩兵連隊(71e régiment d'infanterie)に入るが後准将により1907年3月27日参謀となったあとモロッコに赴くこととなった(当時フランスはアフリカ横断政策を行っていた、アフリカ分割を参照)。 モロッコでは既に時の陸軍将軍アントワーヌ・ドルード(Antoine Drude)が反乱の軍と戦っており1907年の7・8月に起こった大規模な反乱を受けて同年の末にカサブランカとその周辺を制圧していた。しかしながらカサブランカを含むシャウイア州(Chaouia (Morocco))のフランスによる統治はまだ弱くダマデは反乱勢力を同地から追放する役を負っていた。当時特に反乱が大きかったのはセタト州(Settat)でのものとムダクラ族(Mdakra)によるものだった。 1908年1月、ダマデはドルードの後任となる形で将軍となった。 2月2日Dar-Kseibatでの戦いに勝利し月末よりオウラド・サイードでの反乱軍弾圧を行った。一方で占領地に電機回線を繋いだり、前線を退いた後に軍事キャンプ地を作ったり港湾の交易の再開のため務めたりした。またコーランに基づく税制も定めた上にアルジェリア兵グミエの創設にも大きく関わっている。1908年10月9日少将となり第9歩兵連隊(9e division d'infanterie (France))に入り、1909年2月22日に帰還。
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