生い立ちとレジナルドとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 09:09 UTC 版)
「グロリア・モーガン・ヴァンダービルト」の記事における「生い立ちとレジナルドとの結婚」の解説
スイスのルツェルンで生まれる。父はアメリカの外交官で、のちにブエノスアイレス領事やブリュッセル領事などをつとめたハリー・ヘイズ・モーガン。母はアイルランド系アメリカ人とチリ人の両親をもつローラ・デルフィン・キルパトリック。1894年に父34歳、母は17歳で結婚し、1927年に離婚した。 母方の祖父ヒュー・キルパトリックは南北戦争時の北軍の将軍で、のちチリ駐在アメリカ大使となった。母方の祖母ルイサは、17世紀にスペインからチリに移民した裕福な旧家の出身である。 一卵性双生児の姉テルマ・ファーネス、妹コンスエロ、マイナーな俳優だった弟ハリー・モーガン・ジュニアがいた。父親が前妻と儲けた異母姉が2人いた。 17歳の時、野心的な母は美しい娘たちに社交界デビューの足がかりを作ろうと、ニューヨークへ移り住み、カトリックの学校へ通わせた。美しい姉妹はたちまち社交界の話題となり、「ヴォーグ」誌の表紙を飾ったこともあった。セシル・ビートンが「優美な彫像のようだ」と、彼女たちをモデルに写真を撮った。 彼女を見そめたのは、鉄道王と呼ばれた大富豪ヴァンダービルト家の御曹司、当時43歳のレジナルドだった。彼は離婚歴があり子供もいたが、社交界では競馬と酒の好きなプレイボーイとして知られていた。彼はグロリアに、ティファニーの7万5千ドルの、16カラットもあるダイヤモンドの婚約指輪を与えたという。1923年、19歳で結婚し、翌年2月には一人娘グロリア・ローラが生まれた。既にレジナルドはアルコール中毒で肝臓を病んでおり、グロリアが財産目当てで彼と結婚したと噂されても仕方のない状態だった。
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