環太平洋戦争後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:52 UTC 版)
「ユークトバニア連邦共和国」の記事における「環太平洋戦争後」の解説
2011年4月、ニカノール首相は再任され政権を維持した。ニカノール首相はハーリング大統領と共に、ユークトバニアとオーシアの関係改善に務めた。第三次戦略兵器削減条約(START-3)の締結により、核兵器などの戦略兵器群の削減が目指され、2012年1月には包括的軍備管理計画の施行が始まった。両国の協議のもと、ユークトバニアが保有する潜水航空巡洋艦アリコーンは解体の対象となり、ゼネラルリソース系列のGRトレーディングに解体を依頼した。なお、GRトレーディングはアリコーンの解体はせず、改修を施した上でエルジアへ売却した。 環太平洋戦争後からユークトバニアは一次産品の貿易相手国を拡大し、造船業の多角化によって歳入を増やし繁栄した。 2015年4月21日、ユークトバニアの偵察衛星がエストバキア南東の沿岸沖を飛行する巨大なエイのような機影を発見した。4日間に渡り巨大なエイを追跡したものの、エストバキア北東沖で行方が分からなくなった。この一件はフロントライン2016年2月26日号のエメリア・エストバキア戦争を概観する記事で引き合いに出されている。 2019年6月頃、オーシアとエルジアが灯台戦争の最中にある時に、ユークトバニアの首相は「エルジアには戦争を正当化する理由がある」とコメントした。灯台戦争が終結した12月以降、エルジアのローザ・コゼット・ド・エルーゼ王女による援助支援要請を受けて、ユークトバニアは人道支援を開始した。 2020年6月30日にオーシアが主催するベルカ戦争終結25周年記念式典に参加した。GAZE誌2020年7月10日号の表紙を飾ったレッドミル空軍基地でのエレファントウォークの写真では、写真の左側にユークトバニア軍所属の5機のSu-57戦闘機が並んでいる。
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