エメリア・エストバキア戦争
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「エストバキア連邦」の記事における「エメリア・エストバキア戦争」の解説
詳細は「エメリア・エストバキア戦争」を参照 軍事政権は疲弊しきった経済を立て直すべく、エメリアへの侵攻を決定。2015年8月30日にエメリアに宣戦布告するとともにエメリア首都グレースメリアに侵攻、エメリア軍による迎撃を退けこれを制圧した。その後は電撃的な侵攻やアイガイオンを中核とする空中艦隊の活躍によって数に勝るエメリア軍を圧倒しケセド島南部にまで追い詰めたものの、体制を立て直したエメリア軍による反攻や空中艦隊の喪失により徐々に劣勢となり、2016年3月31日にグレースメリアを奪還され、敗戦が確定的となる。それでもなおドヴロニク上級大将率いるエストバキア軍はユリシーズ迎撃用としてソーン島に建設していた巨大レールガン施設「シャンデリア」を実戦投入してグレースメリア攻撃を行ったが、翌4月1日エメリア軍との交戦の末シャンデリアは破壊され、ドヴロニク上級大将も戦死した。同時期にエストバキア首都で反体制派によるクーデターが起きたことで軍事政権は崩壊。新政権は5月下旬までにエメリアとの間に停戦協定を締結し、戦争は終結した。
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