環境決定論の否定と見直し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 08:52 UTC 版)
「環境決定論」の記事における「環境決定論の否定と見直し」の解説
環境決定論は帝国主義を肯定するものとして、戦後に激しく非難された。ハンティントンの「気候と文明の関係」が環境決定論であるとされてからは、環境と人間の関係を議論することはタブー視されるようになった。1950年代に人文地理学へ幾何学的(数学的)な一般法則から地理的事象を分析・理解しようとする空間分析(Spatial analysis)が盛んになると、反対派から「(幾何学的)環境決定論である」との声が挙がり、批判的に「環境決定論」の語が使われた。 1970年代から1980年代の日本の地理学界においては、環境決定論を否定し、人類の叡智・技術による限りない未来、という考え方が支配的であった。大学教育においては、諸悪の根源のように言われることもあった。この背景に、第二次世界大戦での日本の敗戦がある、と国際日本文化研究センター教授の安田喜憲は指摘している。ハンティントンの『気候と文明』が、結果的に白人による植民地支配を正当化する理論となったからである。1976年(昭和51年)、山本武夫は屋久杉の年輪から復元された気候変動データを用いて、環境決定論的に日本の歴史を説明した。山本の説明によれば、10世紀〜12世紀の温暖期に東日本で武士団が勢力を拡大して律令制が崩壊、15世紀に小氷期に入って戦国時代に突入、16世紀末から17世紀中頃の温暖期に豊臣秀吉が天下統一を果たし徳川氏が江戸幕府の基礎を固めた、という。1990年代に環境問題への社会的関心が高まると気候と文化・文明の関係が研究されるようになった。 安田によれば21世紀に入ってから遺伝学や栄養学の分野で環境決定論が正しいとする説が証明されつつあるという。今井清一は、環境の影響を環境決定論のように重視しすぎることは誤りであるが、環境を軽視してよいということでもなく、社会の進歩によってさらに重要となってくる、と述べている。ハンティントンの『気候と文明』は様々な工夫を凝らしていたことから熱帯医学の分野で再評価され、人間生物学にも影響を及ぼしている。
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