理科ノート方式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:23 UTC 版)
このなかで直接「授業書」の成立に大きな影響を与えたのは、戦後の国立教育研究所の細谷純らが開発した「理科ノート方式」の授業である。この方式はまず問題に対する各自の解答(予想)を理科ノートに記入させ、それから全員でその予想を発表させて討論し、議論が出尽くしたところで実験をしてその結果を記入させるという順序ですすめられる。理科ノート方式は仮説実験授業と似ているが、力の概念形成に十分な成果をあげることはできなかったとされる。しかしながら、細谷らは「児童が今までの学習の結果としてもっている力観・力学観をもとにして、ばねやゴムの、さまざまな場合での伸び縮みを予想させたり、関連付けさせたりしながら、そこに働く力学的法則を理解させ、この過程を通して児童が初めにもっていた力観。力学観を、あるいは正し、あるいは深めていこうとすることが、この単元を指導するために適切ではないかと仮説され、それに沿って教案編成がなされたのである。」と述べて、子供の「直感的常識的認識」を教育に利用しようとする考えが見られる。また細谷らの「理科ノート」には、後の仮説実験授業の授業書「ばねと力」で使用している問題のいくつかが使われていた。板倉聖宣も「とくに当研究所の細谷純、永野重史の両氏には有益な多くの示唆をいただいた」と述べている。 板倉は「理科ノート」の問題点として「授業研究の手段であって、必ずしも毎日の授業そのものの手段とはされなかったことである」「〈理科ノート〉は、授業研究を志す個々の現場教師がみずから案出して作成すべきものとして進められている」と批判し、「理科ノートのようなものを作成して子供の考え方の実態をとらえる研究をすすめる責任は主として教育研究者の側にあるのであって、教育研究者は現場教師の研究の補助者・督促者であってはならない」としている。
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