球団創設~19世紀とは? わかりやすく解説

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球団創設~19世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:09 UTC 版)

フィラデルフィア・フィリーズ」の記事における「球団創設~19世紀」の解説

1883年当時スポーツ用品メーカー経営していたアル・リーチ弁護士ジョン・ロジャースが、ナショナルリーグ新規参入球団募集の際、前年破綻したウースター・ルビーレッグスフランチャイズ取得し、「フィラデルフィア・クエーカーズ」として新たな球団創設したフィリーズ呼称現在に至るまで変遷はなく、同一球団としてはMLBで最も長い歴史を持つ。創設1年目1781敗、勝率.173と散々な成績だった。翌1884年からハリー・ライト監督就任し、チャーリー・ファーガソン、ダン・ケーシー、チャーリー・バフィントンら有力投手を揃えチーム再建する1880年代フィリーズ貧打あえいでいたが、1890年代になるとサム・トンプソンビリー・ハミルトンエド・デラハンティタック・ターナーナップ・ラジョイエルマー・フリックといった名選手登場し攻撃力増しフィリーズは常にナショナルリーグの上位に顔を出す強豪となったが、肝心優勝争いでは首位10ゲーム以上離されるシーズン続いた。しかし、1894年にはタック・ターナー(.418)、サム・トンプソン(.407)、エド・デラハンティ(.404)、ビリー・ハミルトン(.403)で4人の4割打者誕生しチーム打率.350(.3497)というとてつもない記録つくったまた、19世紀フィリーズの正捕手をしていたジャック・クレメンツは、当時から珍しかった「左投げ捕手」としても知られている。1894年に(.418)を記録したタック・ターナースイッチヒッター(左投げ両打ち)ながら打率4割を記録しており、これは4割打者中でも唯一の記録である。 ところが、1901年アメリカンリーグ創立され新たに同じフィラデルフィア本拠地とするフィラデルフィア・アスレチックス(現・オークランド・アスレチックス)が創設されると、上記選手次々と移籍アスレチックス強豪チームとして成長するのとは対照的に主力選手奪われフィリーズ弱体化一途を辿るアスレチックスへの移籍不服としたフィリーズは州の裁判所にこの移籍無効訴え、ラジョイはアスレチックス1シーズン1試合フリック至って11試合にしか出場できず、共にクリーブランド・ナップス(現クリーブランド・ガーディアンズ)と再契約することになった。デラハンティはワシントン・セネターズ(現ミネソタ・ツインズ移籍後1903年ナイアガラの滝で謎の転落死遂げている。

※この「球団創設~19世紀」の解説は、「フィラデルフィア・フィリーズ」の解説の一部です。
「球団創設~19世紀」を含む「フィラデルフィア・フィリーズ」の記事については、「フィラデルフィア・フィリーズ」の概要を参照ください。

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